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歯痒さー怒りではなく、理解に変えていく

昨今、とある映画に対する配給元の対応をめぐり、日本とアメリカで物議を醸しているようです。
映画はエンターテイメントでありながら、社会性や思想をも色濃く反映する作品も数多く存在します。こと、宗教や政治などに絡むトピックを扱う場合には、企業や組織としてさまざまな考慮や配慮が必要だという点を、改めて考えさせられました。今日は、この件を起点に、少し思い巡らせてみたことを綴ります。

自分にとって? 相手にとって? を思い巡らすこと

映画の配給元が、歴史的にも悲しい背景を持つことをエンターテイメントの一つのように取り沙汰したことで、日本人の多くが悲しみや怒りといった感情をあらわにしたのが、今回の発端です。
さまざまな言葉で、この状況に対する憂慮がSNSでは溢れ、ムーブメントとなりました。日本の配給元が謝罪声明を出すという、米国の外資系では異例の対応もなされました。

私が、この報道を見ていてまず組織として考えたのは以下でした。
「一体、何のために? そして、誰のために?」

きっとこの発端となる行為をした従業員は、SNSの企業公式アカウントを任されており、ひとえに映画の普及のため、自らのKPI、ファンを喜ばせるような対応のために発端となる対応をしたのだろうと想像しています。
会社として、そもそもの認識と質に問題はあれど、交流を優先した結果と言えそうです。
*決して擁護するのではなく、その程度の理解度だったのではないか、と私は考えていると言う、あくまで見解です。

私の当たり前は、あの人の当たり前とは違うー気づいていますか?

みなさんに、次のような前提はあるでしょうか?
私の当然は、あの人との当然とは違う。

多様性の専門家のような理論や知識は持ち合わせていないのですが、世界でも有数の多様な文化圏の学生がいた大学時代。私の母校での経験は、常にこの考え方を問われます。
日本で教わる歴史と、アメリカで教わる歴史は全く違うし、視点も異なります。違う国で語られる歴史。思うことは多いのですが、眼前で展開される歴史の話は、私の当然を砕いていく。
「あなたは、この件について日本人としてどう思うか?」
と聞かれたこともありました。その時、私は、ただ感情を表すだけでは許されない状況を経験します。どういう視点でそのことが語られ、なぜ、日本ではそうは捉えられておらず・・といった点も、拙いながらも伝える責任が生まれます。日本ではこう教わる。私は、該当の歴史について学んだ上で、この2つの国の伝え方の違いも含めて、こう考えているくらいは言った気がします。授業で、先生から「大丈夫か?でも大事なことだから伝えてもらえないか」と頼まれたこともありました。

当たり前に学んだことは、当たり前ではない。

学生時代の経験から、目の前にあるものを見直すことが大切だと考えました。相手の意見を聞いた上で、自分の意見を伝えることも重要です。そして、新しい視点を提供して相手に知識を与えることも大切かもしれません。

あなたの考えや意見は分かりました。私はこう思っています。このようなコミュニケーションをアサーティブと呼びますが、それがないとわかり合える雰囲気は生まれません。無意識に相手に自分の基準を押し付けていないでしょうか。本当に問いかけるべきは、自分が信じていた「当たり前」なのかもしれません。

まずは、慮る気持ちを持ち合わせる

私の理解は、他の人の考えと異なることがあるかもしれません。個人的には、どうすれば良いのでしょうか。

まずは、一呼吸、相手を慮る。
「こんな行動を取ったら、相手はどう感じるのか?」

少しでも違った視点で考えてみましょう。想像力が足りないと批判の声もあがる、今回の件ですが、答えはシンプルなのだと思います。
自分と相手の気持ちを考えたコミュニケーションや、基本的な教養の重要性についても考える機会となりました。

歯痒さを怒りに変えるのではなく、理解に変える

なんで分からないんだ!と思ってしまうようなこと。
そんなの当たり前でしょう!と思うこと。
私たちは、様々な当たり前を持ってしまっています。
その当たり前のレベルを、常識とか、スタンダードとか標準と呼ぶのかもしれません。

そういった当たり前が通じない時、私たちは歯痒さを感じると思います。
私にも、そういう歯痒さを感じる瞬間は、多く存在しています。
言葉の壁だけではありません。ちょっとした考え方や、ビジネスマナーの標準の違いなど、多くの違い。
なんで分からないんだ、わかってくれないんだ、どうしようもないと思う気持ちは疲弊します。
それでも、大事な相手であれば、何度かは、わかってもらいたいな…と思い、行動することにしています。
諦めてしまった方が楽。スルーの方が余程心が軽い時も。
だけど、諦めずに相手を慮るのは、なぜか。

組織成長には欠かせない「他者とのつながり」だからこそ、諦めずに理解に努めたい。代表として改めて考えさせられ、襟を正していきたいと綴らせていただきました。

(記:ラボラティック株式会社:野口麗奈)