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「異文化」を知り、自分の振る舞いを考える

こんにちは。レタススタッフの三宅です。
2月20日、ニュータイプの相談援助職のための読書会を開催しました。ご参加いただいたみなさん、ありがとうございました!

今回読んだ本は、松村圭一郎・中川理・石井美保(編)文化人類学の思考法です。
私は最近、ペアドクという本の読み方を楽しんでいて、そこで読んだ本でした。「ケア」に関する話もあり、専門職の人たちとも読みたいと思って選びました。

今回は文化人類学ということで、どんな文化に興味があるか話してもらい、本を読んだ感想など話しました。

・修士論文を書くときにフィールドワークをしたときに、文化人類学の本を参考に読んだことがあったから読んでみたかった。
・エビデンスがあるかないかで話されがちだから、3章の「より柔らかい事実」と「より固い事実」という表現が面白いと思った。
・”そこを心配するんだ”と感じることがあった時、その人が感じていることとして距離をとった理解の仕方だけではなんだか冷たい。でも、異文化だと思ったものが何度も現れてくると「そうかもしれない」と思えてくることには意味があるんだなと思った。自分が体験していたことと、4章の「かもしれない」領域がリンクすると感じた。
・8章を読んで、仕事でも関係機関の人たちと微妙な立場の違いでもめやすいことを思い出した。
・学生と関わっている仕事柄、13章を読んだら確かにそうだなと思った。学生が読みたいと言っていた、レヴィ=ストロースの『野生の思考』も出てきた。

事前にレタスで考えた問いに加えて、参加していただいた皆さんからも問いを挙げてもらいました。

問い

今回は以下の3つについて対話しました。

・みんなが当たり前を疑うことができるようになったら、どんな社会になるのだろう?
・あなたにとって「ケア」とは何か?
・文化人類学の思考は、日常生活のどんな場面で役に立つのだろう?

特に、私が印象に残ったのは以下の問いです。

みんなが当たり前を疑うことができるようになったら、どんな社会になるのだろう?

この問いを起点に、他の問いに移っていく感じが印象的でした。

学校現場で活動する心理職は、授業中じっと座っていられない、集団指示を聞いていない子どもにどう関わると良いか、といった相談を受けることが多くあります。そんな授業中はずっと座らないといけないという「当たり前」を疑ってみたときに、たとえば子どもの自由が奪われてしまわないか?といった考えが浮かんできます。

しかし、先生としてはクラスに40人近くいる子どもを1人で見なければならない現状があり、もしみんなが当たり前を疑っていたら無法図に解き放たれた世界となってしまいます。ケアしたいと思っても、そのジレンマをどう包摂していけるか?という課題が生じ、「ケア」とは何なのか?という問いにも通じました。

抽象的な話になりやすい問いが多くありましたが、それぞれの現場で感じる課題を交えると共有しやすくなりました。

最後に、文化人類学を異文化交流という視点で捉えたら自分自身も楽になれるかもしれないという意見がありました。日々の臨床だけでなく、この読書会もいろんな価値観やバックグラウンドを持った人たちが集まる異文化交流だよね、という話にもなり、いろんな「文化」に触れることができる面白さを改めて感じた回でした。

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次回のお知らせ

日時 :3月27日(日)10:00~12:00 @オンライン
  :近藤麻理恵 スコット・ソネンシェイン 著 「Joy at Work 片づけでときめく働き方を手に入れる
テーマ:ときめきという視点から働き方を問い直す
対象 :臨床心理士、公認心理師、精神保健福祉士、キャリアコンサルタント、社会福祉士など相談援助職の方。これらを目指している学生の方。人文・社会領域に興味のある方。

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年間スケジュールも立てています。ご興味ある回があれば、ぜひお気軽にご参加ください。

年間スケジュール(2022.2更新)


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