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ソーシャルな仕事から『社会課題』を考える

こんばんは。レタススタッフの三宅です。

法人の活動を始めたのと時期を同じくして、経験交流を始めています。
きっかけは、ある研修で知り合ったキャリアコンサルタントの方と久しぶりに連絡をとる機会があり、コロナの影響で働き方が変わってきたよね、と話していました。
そんなこんなで、お互いのフィールドで「これからの働き方」「専門職の在り方」みたいなテーマで話してみよう!ということになりました(対面ではなくオンラインで)。

心理士、キャリコン、それぞれのフィールドで働き方のパラダイムシフトの波が広がっていること。ではその流れにどう適応していくのか、と考えるいい機会になりました。
それと、心理士とは違う目線のお話を聞くことができて面白かった!!

2人もいいけど、知り合いを呼んでやってみよう!ということになり、臨床心理士3人と、キャリアコンサルタント2人で経験交流を始めました。今回で3回目。

2回目までは自分の中で、レタスの中で消化していましたが、せっかくなのでアウトプットしてみようと思います。

仕事をしながら気付ける社会課題

社会課題は身の回りに沢山あります。特に仕事をしていたら、自分の携わっている分野の知識や情報が増え、「おかしいな」「こうしたらいいのに」と思うことが見つかってきます。

そんな話から、虐待やDVに関する話題に。

①虐待やDVの問題点として、流動性のなさや支配関係があるのではないか。どれも集団の中なら起こり得ることで、家族は時に閉ざされてしまう小さな集団、その中でも一番流動性がない集団。
学校のいじめ問題や、職場のハラスメントもこの要因が絡んでいるだろう。

もう1つの問題は、加害者支援の制度が乏しいこと。それによって、被害者を逃げさせることに力が注がれている現状であること。
制度としてないにしても、NPOの活動でRRPというプログラムがあるそうです。被害者へのケアは必要で、同じくらいに加害者が同じことをしないための支援の場作りも必要。
「悪い」と指摘するだけで改善されるなら苦労しない。なぜそうしてしまったのか、行動パターンを振り返るなどの必要な作業ができる環境を整えないとまずいのではないか…。


ただ、場があったとしても、モチベーションがなければ参加しないのではないか?改善しようと思っても、どうせ否定されるだろう、という考えがあると参加は難しいのではないか?という現実的な課題もありそう。

たとえば、周りは改善したほうが良いと思っていても、モチベーションの低い人がいるとき、直接的に改善しないとまずいことを伝えるよりも、身近なテーマと絡めてブレイクダウンして伝えるほうが効果的なことも。


②しつけと暴力の線引きはとっても難しい。
法律が改正され、手を挙げれば『虐待』となり得る状況になった。赤ちゃんがぎゃんぎゃん泣いていたり、痣がある児を見かけたりして、ちょっとでも可能性があるならと児相に通告されるかもしれない。

叩いて赤ちゃんが泣いているわけではないのに。内出血しやすい体質でちょっと転んだだけで痣が出来てしまうだけなのに。『虐待』に敏感になっているママが増えているよう…。

「ママは完璧じゃない」「しつけと暴力の線引きは難しいよね」と確認できる、予防的な機会を提供するとママは安心できる。
どうしても疲れていたり、思い通りにいかない子育て中、パチンと叩いてしまうことはあるかもしれない。そんな時、最初は罪悪感を持つはず。


もし、子育ての「あるある」を言える場や仲間がいなければ、「私はどうせ悪いママ」で片づけてしまうだろう。それを「どうしたらいいんだろう?」「他のママはどうしているの?」とヘルプを出せる場、座談会みたいなのがあると安心できるのではないか。

愚痴をこぼすというストレス・コーピングを行うと同時に、どう子育てと向き合うといいか、問題解決のためのコーピング、両方が行える場の必要性。
立派なエビデンスを披露するのではなく、現実的に行動可能な情報を得られるほうが、ママの反応も良いのだとか。
自分に置き換えられる、実現できそうという感覚がポイント。


③社会課題を『解消』するという視点
社会課題を『ゼロにする』という視点ではなく、課題はあるものの、どう付き合っていくかという視点で考える方が現実的ではないか。

今回のコロナだって同じ。コロナウイルスを自分で消し去ることはできないが、コロナウイルス(他のウイルスも含め)はある前提で、それでも感染しないために何ができるかを考える。その結果、手指消毒や人と人との物理的に間隔を設ける(physical distance)といった行動が広まっている。

『解決』と『解消』という視点の違いで、取り組み方が変わる。これには技術的問題と適応課題という違いが関係している。自分が今どちらの問題・課題を見ているのかを、立ち止まって考える必要がありそう。(cf:他者と働く~分かり合えなさから始める組織論~)


人の意見を聞きながらも、「自分事として」考える

とまあ、あっという間に時間は過ぎていきました。その領域に詳しい人にちょっとした疑問、気になっていたことを質問しあって、みんなで共有できました。

自分がこれまで仕事や生活の中で経験してきたこと、その経験から気付いたことを伝えてみると、案外異なる領域の人も同じ問題意識だったり、違う領域だからこそのアイディアを聞くことができます。

次回の経験交流で何が話せるか楽しみにしながら、数日経った今の自分が思うことも少々交えて書いてみました。
色んな考えはあると思いますが、やはり社会課題を「自分事として」考える視点が必要だと思います。

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