「家族」という視点から他者との関わりを学ぶ

こんにちは!久しぶりの投稿はレタスの活動レポートではなく、イベントに参加して感じたことをまとめようと思います。

家族は他人、じゃあどうする?』の著者 竹端寛さんと、平尾剛さんの対談イベントに参加しました。
途中まで本を読んだ状態で対談を聞き、イベント後に最後まで読み終えた感想は…

①子育てがまだの人も、子育て中の人も振り返るヒントが沢山ある
②支援者にとっても学びになること、改めて気付かされること、振り返るヒントが沢山ある
③チームマネジメントのヒントが見つかりそう

以下は私自身の振り返りメモ。気になる方は本をぜひ読んでみてください!


p.48~「ちゃんとしなさい」の罪

他者から評価されること、他者から求められていることを軸に置いて行動すれば、良くも悪くも「正解」が生まれる。それは、世間にとって都合の良い「ちゃんと」した行動。
自分の大事なことを一旦置いておく(考えないようにする)、人から求められる「正解」通りに行動することで認められ、安心できる。それに、正解があれば自分で考えたり直視しなくて済むから楽。さらには他者から認められると悪い気はしない。どんどん正解至上主義のループに入っていったのだと思う。仕事中心主義、生産性至上主義とも関連のある事象のように思う。

この呪縛は私自身かなり当てはまっていた。過去形なのは、正解至上主義がまずいとようやく気付いて変わろうとしているから。とはいえ、思うようにいかずしんどい…

VUCAの時代と言われて久しいけれども、そうはいっても染みついた考え方、価値観が正解ありきのままだと上手くいかない気がする。それが「ちゃんとしなさい」という言葉に表れているのかなと感じた。


p.180~「子どもの問題」は自分自身の心配ごと?

この章を読んで、逆転移を連想した。Th.の課題が目の前のCl.に投影されている場面。
また、別の場面でふと思い出したエピソードは、テスターの仕事をしていたとき、”〇〇ちゃんの問題です”と保育園の先生が書かれたメモを渡されたこと。読んでいて、これって主語が子どもだけど、本人は”問題”だと感じているの?先生や周りが感じている問題では?と思ったことがある。

自分が上手く関われないこと、心配なこと、自分が過去に抱えていた問題と向き合わざるを得ない状況になれば確かにしんどい。でも支援者なら尚更そこに自覚的でないといけないなと、改めて思う。


p.206~「観察」から始まるチームづくり

家族のような、距離が近しい関係性だと観察がより困難になると思った。本の中では、AとB(娘さんと竹端先生)の空気感がまずい状況になった時、C(奥さん)が合いの手を入れて、AとBがクールダウンできるようにする。
家族というチームワークが発揮されているように感じた。
この状況に、保育園/幼稚園/学校、ママ/パパ友、別のコミュニティといった「環境要因」が、A・B・Cという家族に合いの手を入れてあげられたらいいなと。もう少し大きなレイヤーでも家族を捉え直すことも面白そうだなと思った。

これはもう少し言語化が必要だが、ビジネスや支援の場面でも共通していることがありそうだなと思った。この点は私のホットトピック。
たとえば、ハラスメント的な事象が起きている、トップダウン型の組織で現場が意見を言えない、など組織の問題があったとする。そこに、同じ職場の別の人、他部署の人、外部の人による合いの手をじわじわと出してあげることで、チームづくりを再構成することに繋げていけないだろうか…?

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