新しいビルが大きすぎました
青野佑季さんへ
拉さん元気です、こんにちは。
この前、久しぶりに街へ出ました。
大きな本屋さんに用事があったので。
街の中心に着いたら人がたくさん歩いていて、どの人もちゃんと春らしい服を着ていたので恥ずかしくなりました。わたしの格好は『もうすぐ着られなくなりそうだから今のうちに着ようとしたもの』で構成されていたからです。
ま、でもせっかくなので、わたしはこの日のテーマを道行くオシャレウォッチングに切り替えました。(ジロジロ見ることはせず、素早く全体を捉えることが大事なポイントとなります。)
久しぶりに街とファッションを眺めていました。
休憩時間と思しき制服の人、
片手に持った大きなお財布がアクセントになっていて、オシャレ…
春色の雑踏をすり抜けてゆく、
削ぎ落とされた黒のセットアップ、オシャレ…
髪をセットしないと見えないところにあえてのポイントカラー、
オシャレ…
みんなどうやって服とか選んでいるんだろう。
頭から爪先までを今全部揃えたわけではないと分かっちゃいても、此方としては完成されたスタイルが突然生身と歩いてくるのでハッとしてしまうのです。
靴下ひとつ違っていたら
待ち合わせた相手の服の色が違ったら
風の強さが今日みたいじゃなかったら
偶然を装ったってわたしの目は誤魔化されない。
あのひとたちは多分だけどすごいひとたちだよ。
わたしたちは読書を好み、本をよく買い求めますが、いつかこの口から飛び出す機会が訪れるまで、言葉はずっと頭の肥やしなのです。
あんなふうに、自分のお気に入りを全身に纏うことができたら、どんなに心強いか知れません。
(Tシャツが『火花』とか、漢字のタトゥーというのとは違う意味でです。…村上春樹×UT は、、買いましたケド、、)
歩き疲れて、のども渇いたのですが、この日のわたしはカフェにも入れませんでした。自販機でジュースを買って公園のボコボコした石に座って飲みました。(ベンチもあったが、オシャレな人しか座っていなかった)
いっそ服装に無頓着であれば、お好きな席でゆっくり紅茶を啜れたのだとも思いましたが、やはり道行く人々の服を眺めるのは、最高に有意義です。座って休んでいるだけで、通り過ぎていただけるので。
お店の人に断らなくても、きれいに畳まれたものを広げてしまわなくても、人が歩けば服が揺れて、靴底の音がする。わたしはひととき道端の石になり、素材や質感を想像しては春を褒めました。
ああ、そういえば本を買ったんでした。
近所では見つからず図書館で借りて読了した本が、やっぱりとてもよかったので、大きな本屋さんに行って買ってきたんですよ。
谷崎潤一郎『猫と庄造と二人のおんな』
それから、
谷崎潤一郎『刺青・秘密』
村田沙耶香『地球星人』
も買いました。
青野さんの書店巡りレポートまた聞かせてね。
先週送ってくれた自由律俳句
ーーー おしぼりと箸の数が合わない
特にわたしはこれがすきです。いいね。
何とかなるくらいの「おや?」なら幾つあってもいいものだなぁと思いました。
会話が始まりそう。そんなことから共通の記憶が思い出として残ることもあるのかと思うと、愛すべき存在たり得るのかもしれません。
会話が始まらなくても、いい。何がきっかけで記憶が像を結ぶか分からないから、予備のパスワードみたいなものですね。
合わないといえば、カレーのルーとごはんも合わないし、餃子の具と皮も全然合わないよね。
合わないよね?
街の自由律俳句をひとつ
〔この通路だけ音が違う〕
拉餃
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