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小道の先の路地の砂利の

私が少女時代を生きた昭和50年台から60年台。
神戸の小さな町のおはなし。

小さな私はいわゆるヤンチャだった。
「イカナゴの千年干し」と母たちに呼ばれていたほど、朝から晩まで外を駆け回り真っ黒に灼けていた。

近所の幼馴染が集まっては、
家の近くの側溝を下り、橋の下をくぐり、
どんどこと川を下っていく。
最後の橋をくぐった時に見たのは
海に沈む大きな夕日だった。
夕日なんか毎日見てるのに
そこにいた5人のチビ軍団は
何も言わずにその風景に見惚れていた。

小さな頃の私たちは毎日が冒険だ。

ある日、小道で
後ろ足で器用に頭をかくネコと目があった。
にぁん、と鳴いて
ネコ助は奥の路地に軽やかに走って行った。
待て待てと追う私を振り切り、
ネコ助は塀の上に飛び上がる。
塀の向こうはどこかの家のお勝手(台所)で
細く開けた窓から優しい香りが漂う。

何かを炒める音がこぼれる。
人間が生きる音。
生活が作り出す音はどうしてこんなに優しいのか。
家と家の輪郭の向こうには夕焼けが見えていた。
路地の砂利を踏み分ける自転車の音に振り向くと
ネコ助はもう居なかった。

優しいお出汁の香りと
まあるいみりんの香りが溶け合う小道。
今日はウチの家は何のご飯かな。
路地を抜けて家まで掛けていくと

おかえり、お腹すいたやろ、と
小鉢に入ったさっきの香りのカタチが
私を迎えてくれた。
煮込んだ牛すじに小さなこんにゃく。
甘辛くほっぺたいっぱいに染み込むやさしい味。

イカナゴの千年干しが帰ってきたでー
と笑いながらお勝手に帰る母親。笑う父親。

生活が創り出す音や匂いは
ほんとうにやさしい。

時の流れが少し緩やかな
少し前の神戸の町にて。

写真は神戸名物、ぼっかけ(牛すじの煮込み)



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