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やっぱり私は、働きたい。
ついに、4月になりましたね。
意を決して実家を離れて約一年。
大切なパートナーと出逢って約一年。
なぜか今朝起きてすぐ、この一年間にあったことが、走馬灯のように一気に頭を駆け巡った。
良い意味で涙が溢れそうになった。
確かに、生まれ故郷を離れて新たな土地に飛び込んだり、たくさんの出逢いに恵まれたりと、客観的に見て環境も大きく変わった。
だけど今朝実感したのは、その環境以上に、私の心が、変
自分の中にある、明らかな差別
根底に、男性と女性を差別している自分がいる。
理由がなくとも、第一印象から男性全般に否定的なイメージを抱いてしまう。
というのも、パートナーと友達について話していて、自分の中で明らかに「男性」と「女性」で判断基準が違う、と改めて感じたのだ。
父だったり今までの交流関係だったり、思い当たる節はあるけれど、それでは説明しきれないくらいに度が過ぎている。
そもそも性別関係なく人を一人の人間として見
逃げていただけだった
じふんの想像以上に、
大切な人の覚悟が深いものだった
親兄弟がわたしの在り方を受け入れてくれた
じぶんの想像以上に、
人は惨めで弱かった
そして人は偉大で強かった
ただ、人々の輝けるものを
ただ、じぶんに差し伸べられている手を
ただ、毎日の小さな喜びを
あの人はこんなやつだと
誰も分かろうとしてくれる人は居ないと
世の全ては無力だと
思い込んでいただけだった
もっというと
無意識に、自分は変化している
私は一年前まで、家事の「か」も理解できないほどに、全く家事というものをやってこなかった。
親は、子供の仕事は勉強というスタンスだったので甘えまくっていた。
(いや、頼まれてもサボってたな。呆れられていたのかも、親ゴメンナサイ)
でも去年から一人暮らしを始め、否が応でも家事をせざるを得なくなった。
今まで、家事を「掃除・洗濯・料理」くらいにしか認識していなかったけれど、
もっともっと沢山の細
抱負(2024.1.1)
弱いままで、強くありたい
言い換えるとそれは
自分の傷を愛し、その傷と共に生きていきたい
ということ。
物理的に負った傷は、跡形もなく治る場合もある。
けれど、心に負った傷は。
時間によって、愛する人によって、
和らぐことはあっても。
決して無かったことには、ならない。
でもきっと。
傷を負うことによってのみ、人は強くなる。
じゃあ傷を負いまくればいいという話ではなくて。
「私の考えの、道すじ」
最近、大切な人が
「優しさは行動じゃなくて結果。受け取る人が優しさと感じたときに優しさ、嫌だと感じたときに押しつけになる。」
といった内容を話してくれたのだけど。
ハッとさせられたと同時に、改めて色々考えさせてくれる機会になった。
だから、今まで書いたnoteとも内容が被るけど、ここにまとめてみたいと思う。
何年か前、私は人間関係に悩んでいた。
優しさも、言葉も、価値観も、人によって受け取