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デッサン会【コラム】

先日、10年ぶりくらいにデッサンをしました。

仕事柄、もう一度基礎をしっかり学んでみたいと思ったのがきっかけです。
折角なので、興味が有りそうな会社のみんなに声を掛けて一緒に行くことにしました。
教えてもらうのは、学生だった頃にお世話になった先生。連絡を取るのは久方ぶりでしたが、嬉しいことに私を覚えていて下さり、デッサンに関しても快諾していただけました。

お願いしていた日に教室に赴くと、モチーフのりんごと紙袋、そしてイーゼルが用意されていました。

なつかしい。

学生の頃に慣れ親しんだ道具たち。昔と変わっていない教室。そして何より、これからデッサンをするのだという空気感。
ここ最近はずっとパソコンで絵を描いていたので、画材に直に触れて描くなんてことはずっとしていません。
挨拶を済ませると、先生から道具の説明と描き方について一通りご指導がありました。

HにHB、Bの鉛筆の濃さ。練り消しゴム、擦筆、画用紙、フィキサチーフ。

あらましが終わると、置かれたモチーフの周りでそれぞれ場所取りが始まります。自分が描きたいと思ったモチーフの姿を、くるくると周囲を回りながら決めるのです。
ここだ!と決まったら、この日のためにカッターで鋭く削った鉛筆を取り出し、まっ白い画用紙の上に炭で形を描いていきます。
ちなみに、今回用意した鉛筆はステッドラー。
青色のボディをしたドイツ産の鉛筆で、Uniに比べるとちょっと硬く感じるのが特徴です。

画用紙に“あたり”をつけて、大まかなモチーフの形を取っていく作業。

デッサンは、描く対象を存分に観察をする必要があります。
ただ単に机の上にりんごがあるのではなく、“机の上にりんご分の重さがあり、りんごと机の接点はりんごのかたちに沿って存在している。”という説得力を絵に持たせるためです。
私は“もの”を“みる”ということは、対象に向き合うことだと思っています。
そうして“もの”と向き合ってみると、普段如何に“もの”からの情報を見落としているかということに気づくのです。

赤く、黒々としたりんご。

りんごの色の変化。
りんごの不規則な形。
机に敷かれた布に落ちる影。
紙袋の皺。

沈黙の中、シャッシャッシャッと鉛筆が紙に擦れる音が聞こえてきます。
絵が進むほど自分も周りも集中し、耳に入る音からは雑多なものが取り払われ、緩やかな時間の中に集約されていくのです。

すごく久しぶりの感覚。

鉛筆を動かせば動かすほど、目に見えている景色に近づいては離れていき、画面に描き出されるのは、自分の目を通して見えた世界。

だから、絵は描き手で変わるのです。
ひとりひとり、見え方も感覚も違うのですから。

ああ、まだここの“調子”が悪いな…。

そう思って修正を重ねて描き進めていると、あっという間の2時間が終わってしまいました。
短い…。全然完成しなかった。

まだ途中の絵

目の前に置かれのは、誰の目に見ても明らかな“描きかけ”。
描き切れなかった悔しさが残ります。

先生からの講評のため、それぞれの作品が並べられます。
みんな同じものを描いているのにまったく違う作品に仕上がっています。
それがまた面白いのです。
先ほども言ったように、みんな見えている世界が違うのです。

あの人のりんごは美味しそうだ。
あの人の陰影はきれいだな。
あの紙袋は、重そうだ。

金子みすゞが言うように“みんなちがってみんないい”。

美術は、本当にそう言う世界だと思います。

2021.11.10

✳︎ デッサンを始める方には以下の鉛筆セットがおすすめです。




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