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イジられることの恐怖

私は小学校4年生の時に、自分が上手く言葉が出せていないという事に気付かされました。
親や先生の指摘ではなく、同級生からのイジりにより、吃音に気付いたのです。
そして、そのイジりにより、話すことへの恐怖を覚えました。
私はその時のことをはっきりと覚えています。

当時、学校の教室で同級生が喧嘩をしているのを見つけた私は、喧嘩を止めに入りました。
言い合いをしていたので一旦落ち着かせようとした時、標的が私に変わり、同級生に言われました。

 『や、や、や、やめろ!って言ったよね』
『や、や、や、や』
『普通に話せないの?』

私は自分の話し方を真似され、笑われ、1日イジられました。

その日から私は、発言することが怖くなりました。
発言する人に皆集中するので、その時に吃ったらどうしようという不安が迫ってくるのです。

吃音は目には見えません。見た目は吃音者も非吃音者も同じです。
話すことで、初めて吃音の話し方に気が付きます。
俗に言う”普通”とは違う話し方を、一部のモラルの無い子供や大人がイジるのです。
まだまだ世の中には『吃音』という言葉が浸透しておらず、言葉が出にくいという症状を貧乏ゆすりなどと同じ様なただの癖だと思っている人が多いからです。

社会人になっても、吃音イジりはありました。

会社で勉強会の講師をした時のことです。
上司や先輩、同期、後輩、十数人の前での勉強会でした。
小規模な勉強会でしたが、資料作りから張り切って取り組んでいた私は、発表内容に自信がありました。

しかし、私の吃音はかしこまった場ではすごく出やすく、勉強会は「えーと」や「・・・え・・えと・・」と吃りました。
1度吃ってしまうと私の中で発表内容よりも吃音に意識が行ってしまうこともあり、伝えたいことが上手く伝えられない結果に終わりました。

発表後に2人の先輩に言われたのは、
『この発表だけで「えーと」を20回も言った』
『江藤さん(「えーと」の吃りのこと)がたくさん出てきた』

私の発表は聞いてもらえず、わざわざ吃りの回数を”正の字”で数え、その場でイジられました。
そのイジりはまた、私のトラウマの一つになりました。

吃音者は吃音だから苦しいと言う訳では無いと私は思います。
重度の吃音の方は、話すことが苦しいと思うこともあると思いますが、それでも周りが理解してくれる環境であれば、生きやすいと思います。
吃音を笑いのネタにされたり、吃音で人間を評価されたり、吃音のせいでイジメられたり、生きずらい環境が吃音を苦しいと思わせるのです。

私は過去にこういった体験してきましたが、これはほんの一部にしか過ぎません。
でもこれが事実であり、吃音者の周りでは日常茶飯事だということも知っていただきたいです。

だから、私はこの苦しい環境を変えていきます。

もしもあなたの周りに吃音者が居るのであれば、イジることだけはしないでほしいです。
イジることで、トラウマになり、恐怖に変わり、話せなくなる
これを知って、理解して頂けると幸いです。

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