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限りなく透明に近い

湿った風に震えていた。絶え間ない木々の間を通って木漏れ日の少し陰った光に目を細めていると、

「どうしたの?」と彼女は聞いてきた。

私は、少し間をおいてから「あー、もうすぐ秋がくるのかなあと思って。」と答えた。

「そうかもしれないね。だんだん、刺すような日差しは感じなくなったもんね。少し、寂しい気もする。」

「このまま置いていかれるのかなあ、って不安になるんだよね。夏って、唯一終わるって表現されるじゃない。自分以外はすべて風にさらわれて行って、自分だけそのままの状態で残されていくような、そんな感じ。」

「目いっぱいそれを感じていたら、いつか自分も追いついて、夏の風を抜き去ってくと思うよ。」

「それはそれで別の寂しさもあるな。」

道なりに二人で歩いていると、砂浜へ続く横断歩道にたどり着いて、目の前には青とオレンジ色を混ぜたような色の海が広がっていた。美しさに胸がいっぱいになって、私はこの時間が永遠に続くんじゃないかとさえ思った。

二人で堤防の階段に腰を下ろした。

「ねえ、夏の真っただ中に見た海と同じはずなのに、こんなに違うんだね。」彼女は風に消されそうな声でつぶやいた。

「うん、いろいろな景色が全部透明になっていくようなさ、そんな気持ちになる。」

「透明になる前に、一緒に見られてうれしい。」

そういって彼女はふわっと微笑んだ。

「あ~、なんだかのどが渇いたなあ。」

「そこに自販機があるから、買ってくるよ。何飲みたい?」

「ん~、じゃあ君がいつも飲んでるもの。同じのが飲みたいな。」

「ちょっと待っててね、すぐ戻るよ。」

私は横断歩道の向かい側にある自動販売機へ歩いていった。あれはいつだっただろうか、こんな風に寂しさと刹那を感じて二人で道を歩いていた、同じ景色をずっと前にも一緒に見ていた気がするのに、うまく思い出せない。少しだけ眉を下げて笑う彼女の横顔がとてもいとおしかったのは、鮮明に覚えているのに。

ゴトっと音がして、レモンティーが二つ落ちた。それをもって、彼女が待っているから早く行かなきゃ、と早歩きで戻っていった。

「お待たせ。これでいいかな?」と言って、レモンティーを彼女に渡そうとした。

階段に座っていたはずの彼女は、いなかった。何度か彼女の名前を呼んで探したけれど、彼女の足跡すら見つけられなかった。代わりに、彼女がいつも持ち歩いている白いハンカチだけが、階段に落ちていた。


そこで目が覚めた。窓の外は晴れやかな空が広がっていて、まるで夏なんてなかったかのような涼しげな色の青空だった。窓を開けると、何とも言えぬ少し肌寒い風が自分を通り抜けて部屋へ入っていった。

そうか、もう、君は。

窓のそばにある机には、白いハンカチが置いてある。限りなく透明に近い記憶は、まだ私を置いて行ってはいないみたいだ。

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