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コンサートで得た知見

大学受験の終わりと共に、コロナ渦の規制が緩和されていき、かつてに比べ幾分と自由に 最後の学生生活をスタートさせた平成15年生まれ、21歳(正直あり得ない。まだ全然15歳)

突拍子もないほどに、新しく大きな挑戦をそれなりにしてきて 大学生を謳歌している私だが、それでもこの3年間の記憶に特に濃く描かれたのは、コンサートたちである

だんだんと増えてきたカメラロールの中の思い出をたびたび振り返っては、ほくほくと満足感を得る私だが、その度に 
  
  この時代に大学生でよかった〜…
            
           と、心から思うわけだ
  

自分でお金を得てそれを使う経験をはじめる大学生の時期に、感染症によって行動を制限されずに、推しアイドルの黄金期を夢中で追っかけられる 
明るい髪の毛と派手なネイル 全身に自由を纏って会場に行く'大学生ファンの自分'に、少し得意げにもなってしまう

( その分といっちゃなんだが、一番楽しい高校2年生に2ヶ月の外出自粛を食らったのもまた03世代。 まあそれは、誰だってそれぞれの場所で苦しんだ時代だったから )

コンサートで得る知見とは

コンサートで得る知見とは。

本能的に楽しむ音楽の場において、その一方、私はめちゃくちゃ色んなことを考える。この目で見て耳で感じた好きなアイドルの新しい姿から、色んな情報を得て、いろんな感情が生まれる  これはもう、知見 / 見識と言ってもいいんじゃないか

もしかしたら万人にとって当たり前のことなのかもしれない 
みんな色んなこと感じて考えてこの時間を過ごしたんだな〜というのは SNSを見ればすぐにでもわかる


私は私が感じることや生まれた思考に、自分だけの誇りを持っていて、自分らしい方法で大切に形に残していく術を持っている。  

ズバリ、 
  浮かんだ言葉すべてをメモに殴り書き
                            

見識とか思考とか言っておいて、8割は「○○クンの顔が良い」だけど

その時の自分のコンディションとか置かれた状況とかに対応して、コンサートごとに'ホットトピック'みたいなものが生まれる


私が愛慕するアイドル、存在の非普遍性に対してあまりに 自分という人間そのものに影響を与えるとんでもないエンターテインメント 
そこから得た感情とか思考とか、きっとこれも今だから感じられるものだから、大切に記録をしてみたいと思う

一丁前に喋るわりには薄っぺらいな、とかは言わないでください


ちなみに俺は

ちなみに俺は韓国アイドルが好き。NCTが好き。
NCTの中だとNCT DREAMへの思い入れが最も強く、マークとチソンとシャオジュンとジェヒが好き
SMアーティストが好き

参加コンサートの自慢

2018年7月  BTSを好きになる 
そのことを書いたnoteを 思っていたより多くの方が見てくれてうれしい° ✧ (*ˇᴗˇ*) ✧ °

2021年1月  NCTを好きになる

2022年5月29日 NCT127 - THE LINK
2022年8月29日 SMTOWN - SMCU EXPRESS
2022年11月27日  NCT DREAM - THE DREAM SHOW2
2023年2月17日 NCT DREAM - THE DREAM SHOW2
2023年4月1日  aespa - HYPER LINE
2023年4月15日 aespa - HYPER LINE
2023年5月6日 WayV - The First Vision
2023年9月9日 NCT - NCT NATION
2023年9月16日 NCT - NCT NATION
2023年9月17日 NCT - NCT NATION
2023年11月25日 Neighbors Con
2024年2月10日 NCT127 - THE UNITY
2024年2月22日 SMTOWN - SMCU PALACE
2024年5月2日 NCT DREAM - THE DREAM SHOW3
2024年5月25日 NCT DREAM - THE DREAM SHOW3
2024年6月2日 NCT DREAM - THE DREAM SHOW3
2024年9月29日 WayV - ON THE Way

コンサートに20万くらい使ってる こわー..  



1- 他人が考えていることなど分かり得ない

@THE DREAM SHOW3 : DREAM( )SCAPE in JAPAN

今期受講したコミュニケーションの授業では、興味深い見識をたくさん得た
それがきっかけで、思考のバラエティが格段に増え、脳みそフル回転の2024年を過ごすことになったのかもしれない。

中でも、
  自分の当たり前が必ずしも、他者の当たり前とは限らない

これすごく納得した概念だった

国、性別、年齢に限らず、人間ひとりひとりがその人の文化を持っており、100パーセント分かり合えるはずがない 言葉にしないなら尚更のこと

自分が当たり前だと思うこと、信じることを、無思考のうちに他者にも期待してしまうことは、自分にとっても相手にとっても危険が大きい
この考え方だって 共感しない他の人に強要したくはない

一言で全て分かった気にならない

これに関連して、他者の考えることだって、その人からの説明なしに分かり得るわけがない と考えた

これは楽観的な意味で、私の物事の捉え方に影響を与えたように思う
周りの人の、例えば一つの目配せから、いろいろ想像して否定的な意味を見出してしまう私にとっては、それがいかに無意味で、自分で自分のことを押し潰してしまう思考であるか に気付いた  気付いて、少し楽になった

+、たとえ言葉での説明があったって、完全に理解したように振る舞うことはまだ危険。
ある人の一つの言動を見て、その人へ肯定的な感情がうまれるならまだ良い。
でも、以前の私のように、その一言から読み取ったことを'完全理解'と固定して、否定的な感情が生まれてしまうなら、それはすごくもったいないこと…


ただ、分かり得ないことだからこそ解釈の余地があり、想像する楽しさがあると思う 自分の解釈で慕う、アイドルといった存在なら一層に!

対象がアイドルだって友達だって、相手へのリスペクトをベースに、思いを馳せることを続けたい 解った気になって完結させない!考えることを止めない!
人間は多面的で、可変的でもあります

私が見るマーク あの人から見たマーク

コンサートに関連したところでは、ここに繋がります

その人にしか真意が分かり得ない ある人の一つの発言から、様々な解釈ができる
              ということは、
私が見るこの人 と また別の人が見るこの人 の姿も全く異なりうる
                ということ


アイドルというものについては、無数のファンという存在によって、それが顕著に現れているように思う

つまり、一万人のマークファンが見るマークの姿は、一万通りあるということ


これはちょっと違う話


面白いね〜〜 マークは一人しかいないのにね〜

東京ドーム公演の時 隣にマクプ(マークフレンド/マークのファンのこと)がいて、不思議な気持ちになった
リリースしたばかりのソロ曲を歌ってくれたマークに湧く、マクプの私とマクプのお姉さん
その姿に喜ぶのは同じだけど、きっとこのお姉さんがマークに抱く感情とか、愛着とか、このコンサートに来るまでの大切なときめきみたいなものは、私が持つものとはまた異なるんだろうな〜と思った 異なってどれも愛おしい

仲間意識ももちろんあって、時にはジェラシーも感じて、でもそれよりも不思議な感覚に陥る
マークが人々に見せてくれる姿は平等なはずなのに、そこから我々が得るパワーはひとりひとりきっと違う

マークのオタクに対しては多少ジェラシー味が強いんすけど(笑)(キモ)、チソンくんに関しては、他のオタクが見るチソンくん というものについても知ってみたい

これらは、4-人間の多面性について と繋がるトピック


2- '私の人生を生きる' の集合体 ~あたしらそれぞれが頑張って生きる~

@NEO CITY : JAPAN - THE UNITY 

どこかのオタクと悠太が言っていたこと

私たちはそれぞれの人生を一生懸命に生きる、その中でこそ またこうやって集まって同じ時を共有することが可能なんだ
一生懸命大切に日々を送っていれば、またいつか絶対に会えるんだ
このライブが終わったら、みんなまた自分の人生を生きてください

私もそうだし、同じ人間としてのNCTのメンバーたちもそうやって自分の日々を生きているんだと思うと、大きな意味でこの時間を共に生きていることが嬉しくて、愛おしくてたまらない彼らの存在が居てくれることが、私の人生においてあまりに頼もしく感じられた


2.5- メンテナンスは、愛だ ~THE DAY~

@NEO CITY : JAPAN - THE UNITY 

NCT127のドームツアーを絡めた商品プロモーション、よく考えたものだ
コンサートに向かうファンの姿にフォーカスしたコンセプト、実際私もこの概念をちゃっかりインストールして大阪に向かった。

体調管理も、トレーニングも、自分のためだけだったら、きっとこんなに頑張れない


大好きなアイドルに会いにいくために、可愛い服を買って、まつげパーマに行って、気合を入れてメイクをするわたしたちオタクって、めっちゃくちゃかわいい。

この人たちに会えるから、コンサートがあるから、毎日もっと頑張って、誇らしい自分で胸を張ってTHE DAYを迎えたい という自分自身の心持ちを、愛おしく感じることができるようになってきた。

その過程の一つ一つと、大切な想いを募らせて迎えたその日は、過ぎてしまってもなお愛おしく 私の踏み固めた道としてのこる



「自分のためだけだったら」こんなに頑張れないっていうけど、結局どれも 自分のためにやっていることであって、結果として
自分の幸せのために選択と行動をすることができている状態って、すごく健康的で情熱的な生 だと思う

この考えを得た私は、さらにステップアップして、コンサートという生き甲斐に囚われすぎず 日々を過ごすことができるようになったと思う 

これまた 2-'私の人生を生きる'の集合体 に繋がること。 
だからこれに、2.5章というタグを打った


3- 推しとの距離が教えてくれる 私の生き方

@NCT NATION:To The World in JAPAN

唸るような暑さがまだまだ残る9月に、5万人を抱えこむスタジアムで行われたコンサート、NCT NATION

NCTという国家  いつみても怖すぎる題目である


なにはともあれ、オタクというオタクが心待ちにしていたこのコンサートに、同じく満を持して参加した私が感じたことといえば、
アイドルと自分との、あまりに遠い距離感。


あまりに流暢な昨今のインターネットが常に我々のそばにある故、日常的に愛慕する'推し'と自分自身との間に画面という越えられない壁があることに、私は本当の意味では気づいていなかったようだ

オタク生活と、私の人生

偶像としてのアイドルは、その稀有で異様な様相の一方で、あまりに私の日常にいる。現代のアイドル文化におけるその距離感は、先述したインターネットの普及が何役も買って、どんどんと近くなっているようにも感じる

ある人にとってはアイドルがその人のすべてで、人生を形作る核そのもの
だからこそ、推しにまつわるあれこれに振り回されすぎて、時には私の人生そのものが激萎えモードになってしまう 

今このnoteを書いている私が思うことを付け加えるとするならば、私がコンサートで感じた距離感というものをその都度思い出すからこそ、そんなある意味病的な推し方 みたいなものを回避することが可能なんじゃないか


私は私の人生を生きたくて、アイドルを慕い勇気をもらうことは、あくまで私の人生の一部であってほしい すべてじゃない

最近の私が思っていることです


卑屈なオタク

でも、好きなアイドルがいるから乗り越えられたこと、得ることができた感情、自分の成長も山ほどあって、
アイドルを好きであること自体を否定したり、そんな自分や他者の姿を軽蔑したりはしたくありません

先述したように、だいすきな推しに会いに行くファンたちのキラキラした姿は、あまりに愛おしくて、大切なもの。何よりも純粋であり得るもの



でもでも、またその一方で、最近の私はなんとも卑屈なオタクになっている

この記事を書き始めてから今まで、私の推したちの周りでは色々なことが起こったので(笑)、
オタ活というもの、ひいては好きなアイドルに対する愛おしさの感情さえ、ふいに俯瞰し卑下し空虚になってしまうのです

このオタク・新モードの登場によって、また推し活というものとの距離感について考え、模索しながら、それでも毎日彼らの姿に肯定の感情をもらって、私の人生を生きている


そんな私が

時系列がバラバラになるが、
そんな私が、NCT NATIONという '画面を通さない推しとの邂逅' を以て感じたどうしようもない距離というものを、当時の私の言葉で振り返り、この章の締めとしよう

あたしにとってNCTの皆さんって近いのに遠い存在だけど、画面越しじゃなく実際同じ場所で自分の目で目撃することで、心的に非常に近かったものがやっぱりあまりにも遠くて高いところにいるんだって気付くんだよね むしろ実際に見ることで感じる遠さ 

オタクのちょっとしたカッコつけではあるけど、そのくらいのものだしそうやってちょっぴり失恋したあとにでもやっぱり相変わらず自分の日常の中にいてくれるのがアイドルさんだし、自分が思う方法で健全に、彼らをアイドルとして好きでいたいなと思う この感情をいいね〜って理解してくれるお友達に感謝

それなりに狂わされながらも、そしてどうしようもないファンの多さと果てしない遠さをスンと受け入れることはできず、
なんか あ、アイドルなんだーやっぱ届かないところにいるチョーすごい人間たちだー って今までのどの公演よりもなんだかリアルに感じてしまった。マークは大スターだ  でもそうやって応援していきたくて、そのときめきと壮大さと、アイドルとしての彼らをこの距離感で好きでいることでしか得られない感情と
アイドルファンとして、でしか目の当たりにすることのできないコンサートという素敵な光景に感謝して、サイコーのNCTzenライフを送っていくぜ✨✨

私の狂ったコンサート記録より




4- 人間の多面性 矛盾なんてなんのその

@THE DREAM SHOW3 : DREAM( )SCAPE in JAPAN 〜

アイドルを見ていると、何が本当なのかわからなくなる
その人の性格に雲がかかるようなスキャンダルとか出たらそれこそ、「私は虚構を本気で追っているのだろうか…」と思ってしまう

昨年の今頃「推しの子」にハマり、考え続けたトピックでもありました

でもまた色んなところから新たな概念を得た今考えるのは、
  人間は多面的で当たり前。すべて本当で、すべて嘘であり得る
                           ということ

私だってそうで、
  ある大学の学生である自分も
  サークルに所属する三年生としての自分も
  アルバイトをする自分も
  誰かにとっての友人の自分も
  娘、孫としての自分も
  それこそNCTのファン シズニとしての自分も 

全部わたし!全部うそなワケない!矛盾だってあって当然!

↑この、矛盾する自分 というものや場所による自分の姿のギャップに苦しめられ窮屈な思いをしてきた中学高校時代だったが、それも当たり前だという考えに落ち着くことができた大学三年生の今だから、新たな方向に歩みを進めることができているようにも感じる

・・・・・・・・・・

で、この考えがなぜコンサート中に浮かんだかというと、
このアイドルをめぐるウソホントについて、実際に自分の推しに落とし込んで考えていた日々だったため

ここで何を以て「本当の」「嘘の」その人 というのか、
それはアイドルとして様々な媒体を通して見せるその人の性格や言葉の断片が、人間としてのその人の「本当」を隠すために意図的につくられたものなのではないかという観点

こんなに連日色んなメディアに露出しているのに、どうしてもずっと正体が掴めなくて分かり得ない感があるアイドル というものがいる。
私にとっては、ヘチャンであり、意外にもマーク。

ヘチャン
ヘチャンに関しては、すべてが考えられた上で体現された'ヘチャン'という姿であるんだろうなと常思っており、それは嘘とかじゃなく彼の魅力であり'ヘチャンというアイドル'はこうやって生きているんだ、と考えられるようにもなった

ずっと本当を見せてくれていない感じがあった でもそれはイドンヒョクという人間の大切な聖域を守るためにも ずっとこうあってほしいとも思っていた

'ひとりの人間の中に様々な面が存在しうる' というこの概念を、アイドルに限らず自分の中に取り入れはじめてから、これは本当の自分を守るための振る舞いというより、ただヘチャンという人の本当なんだと捉えるようになった

だから今回のドリショで彼が伝えようとする言葉は、人一倍私の中に残ったし、これがヘチャンの考えて感じた本当なんだろうなと受け取ることができた

マーク
マークに対して感じる正体の掴めなさは、本当を見せてくれていない感じ というよりむしろ、アイドルマークとして見せてくれる姿だけでもあまりに多面的だから、それに翻弄されている感じかもしれない
これからも動向に注目する次第である(キモいですねー)




余談- 自負を持って、つねに堂々といてほしい

熱狂のうちに終わりを迎えたNCT NATIONから約1年が経ち、大阪公演のビハインド動画が公開された ファンはもとより、きっとNCTもNATIONの亡霊

あんなバカデカ会場に、自分たちを見にきた人だけをたくさん集めて、惹き寄せて離さない25人ひとりひとりが、いかに代わりのない尊い存在であるかをこの身で実感した。 
それをまた感じさせてくれるような舞台裏の動画、
この人たちが歩んできた道だからこそありえるこのステージで、この人だからできるパフォーマンス この人にしかできない音楽 アーティストってカッケェなー… 個性がある程に魅力的だしなー…

そこで付加的に浮かんだ思いは、
 どうかそんな自分という存在の唯一性を十分に自覚し、価値を見出し、誇りを持ってステージに立っていてほしい

色んな角度から向けられる視線や言葉など屁にも思わず、飄々と堂々と、ずっと高いところに居てほしい。一般人など目にもかけないで生きていてくれ

あなた方がいつまでもそうやって自信満々にアイドルでいられるように、私は歓声を飛ばし続けるのみ


余談- 生命の輝き 燃えてこその10代20代(昭和風味)

何かに情熱を持って全てを注ぐような経験は、眩しいほどに人生を輝かせるし、そんな場所をもっている人は人間として魅力的である

中学生の頃は、発音よく英語を喋ることも合唱の練習にやる気を示すことも、多くの誰かにとっては '格好良さ'の反対側にあったように思えるが、そういった'中学生のスカした態度'は当時から、私にとってむしろいけ好かないものだった

ちゃんとやる方がカッコいいじゃん… 今だから惜しみなく出せる情熱じゃん… 


これは一方で、自分自身に言いたいことでもある。私は、しおれた自分を鼓舞するためにKアイドルのfocus camを見る

体いっぱいに熱を漲らせて、自分がやりたいことに全力で向かうこと
そのほうが格好良いだろうとは言いましたが、それって簡単なことではないということも、感じるようになった
この年齢だからでなく、人生のそれぞれの段階において、異なってずっと難しいことなんだと思う

純粋な情熱を持ってひとつのことへの愛を体現し続けること 
この人たちを好きな限り、それを忘れずに その姿に尊敬を持っていたいと思います


余談- 音楽と思い出、香りについて

ドリショ3には、香りの演出があったそう(ジェノくん談)

 めちゃめちゃ良いな〜…

香りが記憶と強くつながっていること、その真理性をずっと思っていた自分だから尚更嬉しいエピソードだった

私はずっとNCT DREAMのコンサート演出がだーいすき
こうやって参加した者ひとりひとりに残るひとときの思い出に花を添えてくれる
メンバーひとりひとりへの愛、二度と戻らない'このコンサート'に価値を置き、慈しむような愛おしい工夫が、客席からもたくさん感じられる


コンサートの本質というところに繋がるが、音楽というものも、眠っていた記憶を自然に引き出してくれる

ここで感じた香りとともに、みんなで一緒に跳ねて楽しんだこの曲は、これから永劫、その中に思い出を閉じ込める

反対に、自分の体験をともにしたことで、その楽曲により愛着が湧き'自分のものになる'感覚も、うれしいもの

広い会場の真ん中にいるアイドルたちも、自分の楽曲を聴くたびに、色んな公演を思い出すのかな

余談- 言葉という味方

はじめて韓国のコンサートに行った。

ずっと行ってみたかった、その原動力はやはり、誰かのフィルターを通さずにその人の言葉を受け取ることに価値を見出していること
そしてそれを思うのは、自分の韓国語力に少々鼻が高くなっているから ハハ

他言語を操る力に自負がある私は、それを人間としての力だとも思う 
言葉は人間らしい営みであり、それを使うことは、人間としてその人を強く厚くする 誇らしい味方

でも直近のTHE DREAM SHOW3では、NCT DREAMさんに、それ以上の力を見せてもらった


☆手段としてさまざまな言語を使うセンス(適応力と柔軟性)と、それを以て言葉を巧みに操る能力(自分のものとして美しく体現すること)は、異なるもの
☆言葉にするだけの思考があるから、それらの↑能力にもやっと価値がうまれる

伝える力には上記のように様々な要素が絡んでいて、全部大切なんだろうなーと思う 

たくさんの人の前で 自分の思考を綺麗にまとめ 美しい言葉とともにわかりやすく伝える 
いつもおちゃらけているヘチャンさんは、だからこそ(?)、そういった真面目に口にする言葉に、能力の高さを感じます  人としての強み
 
外から色んなものを得て、考えて感じて、自分の中に抱くことを、これからも止めないでいたい。私を私たらしめる自分の思考も、それを形にする言葉も、両方大切にしていきたい



☆おしまい☆

もしここまで読んでくれた人がいたならば、本当にありがとう。

見ず知らずの人間が、こんな思考を持って日々生きているのだと、
面白がってくれたら嬉しいです

インプットと同じくらい、これからはアウトプットを楽しも〜☆と思った私でした。

おーしまい!


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