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イラストレーターを無期休業する話。

お久しぶりです。
このnoteは2021年の始まりの月に書いたもので、ずっと公開するか迷っていました。でも、もう私は次の目標に向かって進んでいるのでその時の気持ちを消化するために公開することにしました。

またいつかどこかで考えが変わって、イラストレーターを始めるかもわかりません。

”流れに身を任せつつも、舵は譲らず進んでいきたい”
そう考えている皐月の朔日です。

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私はずっと何者かになりたかった。胸を張って「私の職業はこれです!」と、言い張りたかった。

小さい頃から絵を描くのが好きだったのと、知人に勧められたのがきっかけだ。そうだこの道だ!と突っ走ること、8年経ったあたりのこと。

ガソリンが切れ始めた。


美大芸大卒でもない私はこの8年の間、Macを買ってデザインソフトの勉強をしたり、毎月イラストレーション誌を購入して業界を調べたり、大阪から東京のイラストレーション塾に通ったり、様々なコンペに応募したり、グループ展に出展したり、イラスト関連のイベントがあれば高速バスや新幹線に乗って西へ東へ馳せ参じた。


とあるコンペで入賞してそれがあまりにも思いがけなくて、うれしかったけど戸惑いも大きかった。さらに東京のイラストレーター界隈では知れたギャラリーから個展のお誘いを頂いたりした。(結局しなかった)

雑誌のカットなどいくつか仕事もした。波に乗ってきたと思いつつも、実力が伴ってない気がして怖かった。というより自信がなさすぎて辛かった。一度お仕事をしたところから再度の依頼がなかったのは、そういうことなのだろうと悲しくなった。

親は喜んでくれた。雑誌のちょっとしたカットの仕事をした時は、叔母にも送ったり、その雑誌を飾ってくれたりした。

大阪の大きなアートイベントに参加したのち、しばらくして燃え尽きた。

実は自分の中の炎が小さくなっているのを分かっていた。でもそれを見ないようにしていた。ここまで頑張ったんだから、と言い聞かせてた。

自信がないのなら、自信をつけるために絵の勉強やトレーニングをしようとデッサン教室の体験に行った。しかしすでにこの時私の中のガソリンは0だったのだと思う。教室には入学しなかった。

アートイベントが私の集大成だったのかもしれない。満足いく結果ではなかったけど、やり切った感があった。

営業はほとんどできなかった。営業できるほどの根性と熱意はもう残っていなかった。



何者かになりたかった私はイラストレーターになった。

でも続けられなかった。

ほんの少しイラストレーターとして仕事をしただけで、満足した。

私は自分で好きに絵を描いていることが好きなだけだったのだ。要するに趣味から抜け出せなかったのだと思う。

世間ではこれを挫折というのかもしれない。私自身も「あー、挫折ってこのことを言うのかー」とひとり咀嚼した2020年だった。

そして今になってそんな自分を認められるようになった。挫折という経験をした自分にレベルアップしたやん、と賛辞を贈れるくらいには復活した。

今は何者かになりたいという気持ちはない。

「こんな風に働けたら最高だな」という理想はある。そのためにはどんな環境、仕事がいいのかなと考えている。なんてったって風の時代が来てるらしいし、もっと多様で新しい働き方ができるはず。とひとり勝手に信じてる。

イラストレーターを続けるのは辞めてしまったけど、今後は自分が描きたい時に好きに絵を描いていきたい。

そんなことをnoteにまとめながら、気持ちの整理をしている睦月の初まり。


p.s. noteを続けるか迷っていたけど、新たなプラットフォームが見つかるまではマイペースに続けようと思います。



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そして近況。
今、働いている会社でデザイン的なことをやっていて、そしたらイラストも描いて欲しいと言われて、結局イラストレーターっぽいこともやっています。
はてさて、不思議なものですね。


おしまい。

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