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「常識を捨てること」と「顔が見えること」の幸せ

フィリピン人の家族と過ごした今日1日がとても素敵だった。この1日から感じた「常識を捨てることから得られる幸せ」と「顔が見えることの幸せ」について書きたい。

「常識を捨てることから得られる幸せ」
フィリピンにきて、日本の常識とは違うことが多々ある。そして、常識によって機会を逃してることがたくさんあることに気づかされる。

タガイタイというマニラから車で1.5時間ほどの絶景スポット、タール火山を観に行きたいと思っていた。そんな節に、昨日、配車サービスで仲良くなったドライバーのロニが、たったの3000ペソ(約6000円*2500ペソまで値切れるとのことだったけど、自分基準であまりに安いと思ったのでこの値段でお願いした。)で専属ドライバーとして1日アテンドしてくれることになった。

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昨晩、行くことが決まると、すぐに電話がかかってきた。「妻と娘も連れて行っていい?」と。僕は学生の頃、セブで半年間インターンをしていたので、そんなに驚かなかったのだけれど、明らかに日本の常識とは違う。「仕事に家族を連れて行っていいか」とは中々聞けないように思う。でも、僕は一人旅だったので、むしろ嬉しかった。

思わぬ形で、提供者のwantと顧客のwantが繋がることがある。思ったよりもそんな機会はたくさんある気がする。なんとなく存在している「常識」を捨てられないことの方が多いのだけれど、断られたらしょうがないくらいの気持ちで、まず口に出して言ってみる。そしたら思わぬ幸せが舞い込んでくることもあるのかもしれない。仕事だって、恋愛だって遊びだって、なんだって一緒だ。

「〜に違いない」「〜なはずだ」「〜でなければならない」そんなものを捨てられたら、もっともっと世界がおもしろくなる気がしている。

実際に、今日という1日は、僕にとっても彼らにとっても(←多分)、忘れられない日になった。

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今日は、朝起きたら大雨だった。天気予報でも降水確率80%。だから、行くのをやめようかと思ったのだけど、ドライバーのロニは、「きっと晴れるはずだ」という。行きたいから行こうという。僕もマニラにくる機会も、もうそうない気がするから、それなら信じるよ、ということで決行した。

道中、雨が止む気配はなかった。

そして、奇跡的に晴れた。笑

この若干心許ない船で、向こう岸に渡る。

馬に乗って山頂まで。

晴れなくて残念だったけど、一応見ることができた。

なにより、ロニの家族とした過ごした時間がとても楽しくかけがえのない時間になった。

道中は、タガログ語を教えてもらったり、日本語を教えたりした。今読んでいる「トレバー・ノア 生まれたことが犯罪!?」に

かつてネルソン・マンデラがこう言っていた。「相手が理解できる言語で話しかければ、相手の頭には届く。でも、相手の言語で話しかければ、相手の心に届く」本当にそのとおり。相手の言語を話す努力をすることは、たとえごく簡単な言い回しをちらほら交える程度であっても、相手にこう伝えていることになる。「あなたには、わたしのよく知らない独自文化があることを知っています。あなたをちゃんとひとりの人間として見ています。

こんな一節があったのだけど、タガログ語を覚えようと努力する自分を見る彼らの笑顔は全く違っていて、一気に距離が縮まったのを思い返すと本当にその通りなのだなぁと思う。

「途上国から世界に通用するブランドをつくる。」philosophyとして掲げるマザーハウスの山口絵里子さんも、海外にいくときには必ずその国の言葉を覚えて話すと言っていた。

写真撮影を終えて、10分後また大雨になり、恐ろしいほどにまったく何も見えなくなった。笑

ロニは熱心なクリスチャンなので(フィリピン人の多くがクリスチャン)「神様が与えてくれた1時間だったな」と言っていたけど、本当に奇跡的な晴れだったと思う。

大雨の中、帰り道の乗馬と乗船は過酷だったけど、ロニの家族がいうように、「アンフォゲッタブルメモリー(忘れられない思い出)」になった。

「顔が見えること」の幸せ
帰り道にロニが言った「信頼してくれてありがとう。外国の人は疑ってかかってきたり、すごく値引きばかりお願いしてきたりするんだ。逆にフィリピン人も、現地人価格にして差額をコミッションとしてポケットにいれたり、法外に高い値段をふっかけたりするからいけないんだけどね。お互いに良いことをしなければだめだよね。」という言葉がまだ咀嚼仕切れていないのだけど、すごく印象に残っている。

昨日の投稿でも書いたように、僕はフィリピンにきて物価が安い分、なんの努力もなく、相対的に「お金持ち」になっているから余裕があった。そして、ロニが良い人で法外な値段を請求したりしてこなかったから、あまり疑わずに「信頼」した。その結果、すごく幸せな時間を過ごせた。

でももし、「お金の余裕」がなかったらどうなってたかな、と思う。学生の頃、お金がなかったから、発展途上国に旅にいったとき、何も考えずに値切っていたし、ぼったくられるという先入観を持っていた。だから、相手と関係を作るという段階には到底いかなかった。お金に余裕がないと、信頼する余裕ができないのだろうか。ただ、自分が未熟だっただけのようにも思うけど、ある程度のお金が精神的に余裕を与えてくれて「この人に騙されてもいいや」くらいの余裕が生まれている気がする。フィリピンにくるとものすごく「お金」について考えさせられる。

今回、船の代金も馬の代金もすべて自分がもった。それを払ったら彼らの今日の給料がなくなってしまうし、「待ってるからいっておいで」というのだけど、僕自身が一緒に行きたかった。申し訳ないといいながらも、娘を連れて行かせてあげて嬉しいといっていて、僕も嬉しかった。そして、帰り道に、とうもろこしとチーズバーガーをおごってくれた。とうもろこしは、全く味がしなかったけど、なんだかすごく美味しかった。

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帰り道は大渋滞で3時間くらいかかって、彼らの生活のこと、家族のこと、宗教のこと、色々話を聞かせてもらった。フィリピン・マニラの現地の人の生活と言われたら彼らのことが真っ先に頭に浮かぶだろうと思う。

日本にいると「発展途上国の人は〜」「フィリピン人は〜」と一般論にして語りがちだけれど、自分にとって真剣に想像して考えることのできる「顔が見える人ができたこと」にとても幸せを感じる。

Facebookを交換して、必ずまた会おう!と言って別れた。またマニラにきたら彼らに連絡を取ろうと思う。どこにいって何をしていても「人と繋がれること」は幸せだなと思う。

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