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自分の過去紹介②(中学校時代:テニスにピアノ)

どうもオスギです。
小学校卒業までの自分の過去については記事を書いたので、今回は中学校時代について書いていきます。(記事はコチラ
中学生というと12歳から15歳。
今自分が32歳なので約20年前。
2000年になってすぐ位の時。


中学校時代

小学校の時までは全く勉強に苦労していなかったが、最初の中間テストで数学で50点台を叩き出したことを今でも覚えている。
小学校では常に学業成績は上位だったのに、先生から勉強が苦手な生徒という印象を持たれてしまったことに居心地の悪さを感じていたのを覚えている。
先生にも「数学大丈夫か?」と心配されていたのを覚えている。
そして両親、特に母から「勉強大丈夫かしら?」と心配されたことも覚えていて、嫌な気持ちになった。
今思えば、当時の自分は「他人から評価されないといけない」と思っていて、この出来事で、他人からの承認欲求を欲する気持ちが強くなったと思っている。
世の中的には他人からの承認欲求はあまり良くないと言われているが、勉強して先生・両親に認めてもらおうという想いが勉強に力を込める原動力となったことを覚えている。
その結果、中学を卒業する頃には学年でトップの成績を取れるようになっていた。
他者からの承認欲求が勉強することの動機ではあったが、その中で、きちんと継続して努力すれば結果ってついてくるんだな。と学んだ経験でもあった。


勉強以外の面で言うと部活ではテニス部に入部。
相変わらずそこまで運動は得意ではなかったけれども、個人的に通っていたテニススクールで出会ったコーチによって、僕の運動能力は開花した。
そのコーチからテニスの技術を教わっていたが、テニスが上達するだけでなく、他のスポーツもどんどん得意になっていったのだ。(サッカー以外ね)

高校に入ってからそのコーチにテニス以外のスポーツも上達したことを話したら、「テニスの技術をメインに教えてたけど、運動するときの体の動かし方も教えてたからだよ」と教えてくれた。

それと、このコーチとの練習ではコーチを相手にして1対1で試合形式で練習することが多く、どうやったらテニスの上手なコーチから点数を取れるか考えていた。
技術的にも体力的にもまず勝てないコーチからどうやってポイントを取るのか?
こういった「考えて〇〇をする」ということを身につけられたのも、このコーチのおかげだ。
このコーチのおかげでテニスの技術はメキメキと伸びていって、レギュラーにも選ばれ、団体戦で学校の名前を背負って全国大会に出場したことはとても嬉しかった思い出だ。
東京都で3位、関東大会で5位、全国大会ではベスト16。
優勝はできなかったけれど、人生で初めて全国大会という日本のトップが争う場面に足を踏み入れられた経験だった。

ちなみに僕は明らかにシングルよりダブルスの方が得意だった。
今ならダブルスの方が得意だった理由がわかる。
それはストレングスファインダーで僕の上位の資質にある「個別化」と「アレンジ」がうまくダブルスで活かされていたのだと思う。
パートナーと自分の得意なこと・苦手なことを「個別化」の資質で見極めつつ、この特徴を「アレンジ」という資質で「つなげたり、掛け合わせたり」して、結果につながるように自分が動いていた。
ちなみにこの「個別化」という資質はコーチングをするときに本当に役立っている。


勉強と部活のことを書いてきたが、それ以外で思い出に残っているのはピアノと男遊びである。
練習嫌いとはいえ、ショパンの曲は好きだった。
先生がショパンのワルツの曲集から、いろんな曲をピックアップしてくれて、それを練習していたのを覚えている。
その後もずっとショパンの曲ばかり弾いて練習していた。
思い出に残っているのは幻想即興曲だ。
右手は4拍子、左手は3拍子の拍の取り方はピアノから離れた今でもできるのは、あのときにものすごく苦労して習得したからだろう。(幻想即興曲弾いたことある人ならこの一文の意味はわかるはず)


男遊びについて詳細を語るのは控えておくが、中学1年生のときに携帯を親が買ってくれたこともあり、その携帯電話を使って年上のゲイと会っていた。
あとは想像に任せます。もしくは聞きたかったら、直接連絡ください。
お話ししますので。。。


さて、中学校はこんな感じかな。
次回は高校時代について書いていきますね。

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