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変化した「当たり前の姿」

私達が住んでいる集落では、一家に1本以上あるんじゃないかと思うほど身近な柿。

今年の柿は豊作で、葉が落ちオレンジ色に熟れた柿は犬の散歩をしていても車で走っていてもよく目に付きます。
柿は身近過ぎてご近所さん同士ではあげっこをしない様ですが、我が家には柿の木がないので色々な人から声をかけてもらって頂く機会が多い果樹です。

先日もご近所さんから「柿いらんか」とTELを頂き、犬の散歩の途中で立ち寄らせてもらいました。

柿以外にも八頭と抜いたばかりの葉付大根も頂き、スーパーの袋に柿と八頭、そして犬を連れていない方の手には大根の茎の部分をそのまま持って散歩の続きをしながら集落を歩いていました。
大根も袋に入れてくれようとしたのですが「このままいける!」と当たり前のように答えて歩いていたのですが、国道で県外ナンバーの車とすれ違った時にふと自分の姿ってなかなか無いんじゃないか・・と気がついてしまいました。

暮らしている集落のシンボルツリー

思いがけず頂き物を沢山してこんな姿になることは珍しくなく、恥ずかしくもなく、誰かがこんな姿で歩いてても不思議に思わないのですが、もしもこれが東京の地元だったら・・ちょっと注目を浴びそうな出で立ち。

※そもそも、今暮らしている地域は家々が遠いし坂道だらけなので、ちょっとの距離でもみんな車で移動するので犬の散歩している人くらいしか歩いていないのですが。

私の地元は住宅街で田んぼも畑もないし、何なら土が少ない場所なんで、シチュエーション的にはなりにくいって事はありますが、自分の当たり前が変化している!という事に気がつかされました。

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