連載小説:トミー・ジョン#4
二日後、私は親会社の本社ビルにいた。月に一度の定例報告だった。毎月第二月曜日にオーナーと会って、直接報告を入れる。親会社の会長が球団のオーナーだった。
会長室に通されると、まずルーティンの報告を済ませた。売りあげ、収益、広告収入、支出、観客動員、試合中継の視聴状況、チームの状態、選手個々の状態、現場首脳陣の状態、他球団の動向など。今回はどの事項も通常の報告の範囲内で、とくに焦点をあてて話す内容のものはなかった。
報告が終わるとしばらく雑談した。ころ合いを見て、私のほうから、例の男性総合誌に載った球団運営批判の記事の件に触れた。
釈明するまでもなく、オーナーは、記事が多少の事実をもとにした誹謗中傷だということを知っていた。だれの差し金かも知っていた。その意図まで正確に理解していた。
「土尾君、きみの手腕を私は高く評価している」
オーナーは、私が考えている以上に、いまの球団と親会社の関係を把握していた。その上で、たいへんだろうがうまくやってほしい、といった。
私は、わかりましたと答えるしかなかった。
会長室を辞去すると、私はそのまま同じフロアの秘書課に顔をだした。きょうはこの本社ビルでもうひとり会談したい人物がいた。その男の名前を秘書のひとりに告げた。約束はとりつけていなかった。事前に在社のスケジュールは確認していたが、外出中で本日はもう帰社しないと返答が返ってきた。きょう私がオーナーに定例報告にくることは知っているはずだった。逃げたか、居留守の可能性が高かった。
強引に動くこともできた。オーナーの、うまくやってほしいという言葉が脳裏をよぎった。
「わかった。ありがとう」
いったん、引くことにした。
翌日あらためて、その男との正式な会談の申し入れの電話を本社の秘書課につなげた。こんどは出張中との返事が返ってきた。しばらくもどらないともいった。そのため当分のあいだ会談の申し出は受けられない、と。
これで、相手のでかたははっきりした。
それならそれで、いくらでもやりようはあった。
私を球団組織のトップとするいまの体制に不満を持っているのは、私の前に球団運営の指揮をとっていた、時本という男だった。現在は親会社の役員を務めている。時本をふくめた旧球団経営陣は、私がGMに就任する際に解体し、すべて球団業務から外れてもらった。契約上、私にはその権限があった。それを時本は快く思っていなかった。
小さな嫌がらせのような横槍は、いままでにも何度かあった。メディアを使うような大がかりなものはこれが初めてだ。
時本は親会社での序列が上から三番目の取締役で、次期社長ともいわれている。業務上、球団と直接の接点はない。だが、いまも球団運営の復権を強く望んでいるという話は私の耳にも届いている。そして、それをただ黙って待っているわけではない、という話も。
「すみませんでした、GM。自分は投手のことしか考えていませんでした」
ナイトゲームが終わった深夜、春野がGM室に謝罪にきた。
「おまえはそれでいい。最終的に総括して決定するのは私だ。責任は私にある」
「ですが、よけいな隙を見せたせいで、また時本が」
「うまく話をつける。気にするな」
話し合いで引くような相手ではないことは、春野も充分すぎるほどわかっている。
「指示してもらえれば、自分も動きます」
私は笑って首をふった。
「そんなことよりも、おまえには引きつづき投手陣の管理の指揮を頼む。とくにトミー・ジョンの三人。この三人を最短で完全復帰させることが、時本に対する対抗手段のひとつだと私は考えている」
春野を投手以外の雑事にかかわらせるつもりはなかった。
とくに、時本のようなひと筋縄ではいかない相手とのかけ引きは、野球とまっすぐにむき合っている若い部下など使わず、私ひとりで動いたほうがいい。
じつは策があった。
ひとつ、時本の弱みを握っている。時本が球団運営時に起こしていた不祥事だった。別件で球団内部に調査を入れたとき、偶然発覚した。一切公になっていない。うまくもみ消していたが、いい逃れのできない証拠がそろっていた。もし表沙汰になれば、時本はほぼまちがいなく失脚する。同時に、親会社の業務やわれわれの球団業務にも大きく被害がおよぶ。諸刃の剣で、使うときはこちらも腹をくくる必要があった。
幹部たちにも話していない、極秘の情報だった。
私はその弱みを、固有名詞や詳細な数字を伏せて簡潔に書簡にまとめ、時本本人に届くよう手配をした。封筒は無地のものを選び、差しだしの欄には私個人の名前を書いた。私的な意見や意向はまったく入っていない。ただ事実をまとめた書簡だった。
意図は、充分に伝わるはずだ。
待った。
同時に、身がまえた。幹部たちには時本に気をつけろとだけ指示した。三日たった。とくべつなにかが起きることはなかった。起きる気配もなかった。日々の業務が淡々とつづいた。
さらに何日か身がまえた。初めからなにもなかったように、身のまわりは静かだった。
月が変わって、球団運営批判の載った雑誌の続刊がでた。予告していた運営批判の続報記事はなかった。急遽とりやめたという謝罪の一文が載っていた。今後掲載する予定はない、ともあった。理由には触れられていなかった。
私は警戒をすこしだけ緩めた。そのことだけに労力を費やしているわけにはいかない。幹部たちにもそれを伝えた。ただ警戒は、緩めただけで解きはしなかった。それは幹部たちもみなわかっていた。これくらいで片がつく相手だとはだれも考えていなかった。
そのうち、またなにか仕かけてくるだろう。
トレードで獲得した投手が、シュートを覚えて頭角をあらわした。
続 トミー・ジョン#5
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