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まむし売りの祖父が評判になる#113

<1986年(昭和61年)に書いた息子(小3)娘(小1)への連絡ノート>

🔶1月25日 晴れ S吾は昨日、社会見学で郷土資料館に行ったけど、その時の模様が今日の朝日新聞千葉県版に載っていました。2つの小学校の生徒が来たという記事で、写真付きでした。

新聞をよ~く読むと、小学生が貝をむいたりもしたとか。こたつの上に貝殻が3個置いてあったけど、その時もらったものですね。貝をむいてる人はベテランで、みんな上手だったでしょう?

お父さんも小学生の時、新聞の投稿欄に載ったよ。「農繫休業に思う」だったかな。昔は授業を一定期間休んで家の手伝いをしました。でも遊んでいる人が多く、農繫休業は必要ないという内容でした。

おじいちゃん(お父さんの祖父)も新聞に載りました。まむしの入っている瓶を数十本背負って町へ。その途中、取材を受けたのです。当時読んでいますが、写真付きの記事をもう一度読みたいな。

祖父はまむし売り (05年2月23日) 祖父はまむしを売って生計を立てていた。現金収入があり、財布にはいつもお金が入っていた。生捕りしたまむしは100円で、死んでいたら50円だった、と記憶している。

蛇は道路や校庭とか庭などでよく見かけた。大人ばかりではなく、子どもたちも蛇を生捕りしたら、祖父のところに持って来た。まむしではないと言われて、ガッカリして帰って行く子どももいた。

4合瓶に入ったまむしが所狭しと部屋に置いてあった。週に1回ほどまむしの入った4合瓶を背負い、残りは首からぶら下げ町に出かけた。そんな祖父が、岩手日報社会面に写真入りで掲載され評判になった。私が新聞に興味を持ったのはこの時が最初である。

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