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叫びたいことがあっても何も言えない日々。

どうでもいいと思っている。しかし、関心がないわけではない。かつて自分の関わってきた活動の一部を、今は知らない誰かが、ちょっとずつ形を変えてやっているのを見て「何か」が気に入らない。昔の自分と比較して、今は「何か」が足りないと感じてしまう。「何か」を言わないと気が済まない。

「何か」モヤモヤした感情のはけ口のために誰かを呼び出しては説教じみた口調で語り、「〇〇くんもよく頑張ってはいるのだが」と自己防衛をした上で、あちらこちらで目立っている若者の批評をする。自分の言葉が、若い情熱に冷や水をぶっかけて冷まし、地域に「何か」醒めた空気を生み出していることに気付いていない。

島国ニッポンの、地方のリアルな話。

こうした老害の「壁」を突破しようとしても、周辺の実力者へと狡猾に”告げ口”をされて「正義感ばかり強くて仕事のできないやつ」「あいつは口ばかりだ」「自分だけ得しようとしている」などという烙印を押された若者は、やがてやる気を無くしていく。人間だからしょうがない。議論が対立を生むのであれば、誰も諍いを好まない。小さな町では、こうして担い手が消えていく。

根性論では何も変わらない。生まれ変わるまちには、きちんと仕組みと行動がある。仕組みとは、時にはリーダー(首町)によるリーダーシップであり、地元愛の強い企業によるビジネスとしてのコミットメントであり、そしてそれらは、コミュニティが内包する「愛」に支えられる。

たとえ短い間の熱量だったとしても、やらないよりはやったほうがいい。
単純で素直な想いほど世の中を突き動かす原動力となる。僕はもうこうした論争に心が耐えられるほど若くはない。だから、せめて老害ゾンビを道連れにしながら消えていこうと思っていた。

コロナがやってきて、世の中の「何か」が変わった。曖昧が消えてリアルだけが残った。ファンタジーは終わった。心を病んでいることを自覚している。それでも止まることができない。不思議な人生を歩んできたものだ。

人生の後半は、九州を「世界」に売っていく仕事に、心の残り火にガンガン薪をくべながら、特にはガソリンをぶっかけながら燃やしていく。好きだからという理由だけではなくて、本気でこの島(九州)のポテンシャルに気づいている。

その先に待っている「何か」は、僕には見えているが、まだ誰にも言えない。

僕だけにしかできないデッカい仕事が待っている。


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