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REIWAのマインドセット

平成から令和の節目で、”変わる”ものの正体とはなんだろう。

マインドセットとは、日々の生活の中で複雑に絡み合う「自分を取り巻く環境」に影響されながら、知らず知らずのうちに形成(固定化)された自分の考え方。経験、教育、先入観などから形成される思考様式、心理状態のこと。暗黙の了解事項、思い込み(パラダイム)、価値観、信念などがこれに含まれる。

普段何気なく接しているSNSの情報(表示)アルゴリズムは、その人の好みに”自動選別”してくれるので、楽しみや興味の対象も固定化されていく。

本屋さんや図書館の楽しみは、知的探検の向こう側にある出会いの偶発性がもたらす新発見に満ちていることなのだが、SNSはそれをあたかも偶然を装いつつ(実は)僕好みの話題に収斂させていく。好みの世界に嵌っているのは実に楽で、心地よいから、いつの間にか抜け出せなくなっている自分に気づいてハッとさせられることが多いのです。

ちなみに、ビジネスの世界における事業のマインドセットは、その企業の戦略、組織構成、ビジョン、歴史、扱っている製品やサービスの特性、経営スタイル、求められているスキル、情報の流れ、コミュニケーションなどによって形成される。(グロービズMBA用語集_マインドセット)

オフィスの同じ空間で、同じ人々に接していて、同じ話題(コミュニケーション)の中にいると、知らず知らずのうちにそのマインドセットは固定化されていく。

「企業風土」と呼ばれるまでに長い時間をかけて固定化されたマインドセットを自己更新(リセット)していくことは困難で、やがて外的接点の多いリーダー(経営陣)がよく言う「スピード感を持って、新しい時代に合わせた進化を目指したい」といった切実な想いとの乖離を生んでいく要因にもなっていく。

これは、企業だけではなく、行政、政治、そして年齢を重ねるに従っていつしか思考が固定化されてしまった”頑固”で疎(うと)まれていることに気づかない、もしくは気づいていてもプライドが邪魔して変わることができない老人にも当てはまることで、それは人の本質でもあるからしかたがないと諦めてしまう。

誰もが打破したいと願いつつも叶わない「閉塞感」の正体は、人が本能的に持っている変わることの恐怖なのかもしれない。一度固定化されたマインドは、それをアップデートすることに、膨大な努力と研鑽の苦しみを必要とするのです。

さて、時代は平成から令和へと移り変わりました。ここで少し冷静に立ち止まって、平成から令和の節目で、”変わる”ものの正体とはなんだろうということを端的に整理しておきたいと思います。

「境界」の概念が変わる

昭和、平成、令和の大きなマインドセットは、「境界」の概念が大きく変化することではないかと思っています。

昭和=「境界」を広げてきた時代
平成=「境界」の内側に閉じ籠った時代
令和=「境界」が溶けていく時代

境界を広げるということは他人の領域を侵すということ。「強い」「獰猛果敢な」戦士が称えられた時代。「24時間戦えますか?」というコマーシャルと企業戦士、大きいことが良いことだという時代でもありました。拡大への野心が歪んでいくと、奪い合いの行き着く先には悲惨な戦争が待っています。

「平成」はその反動で、僕らは境界の内側に閉じ籠り、「自分が良ければそれで良い」という極端な利己的な考え方に繋がっていきました。政治のイデオロギー、間違った宗教戦争、そして疲弊する地方は見えない未来への恐怖で、地方創生という言葉の解釈を”閉じる”ことだと勘違いして「わが町自慢」のパイの奪い合いを繰り返す。国も地域も、そして人生も「勝ち組み」と「負け組」に区別されていった時代。

「境界」という幻想が生み出すもの。それは非効率、諍(いさか)い、妬み、利己主義といった、寛容とは逆にある世界。実はどこにも存在しない「境界」という幻想を、人はなぜ顕在化しなければ生きていけなかったのか?今こそ立ち止まって考えてみるべきタイミングではなのかと思います。

令和という年号には、「麗(うるわしい)しい平和を願う」という意味が込められているそうです。争いの上で手に入れた閉ざされた場所にある、一時的でアンバランスな平和の向こうには常に不安が伴います。令和時代に創り上げるべきは、新しい概念の上に築かれる恒久的な平和。心の平安。それはあらゆる「境界」を溶かした向こう側の世界に存在するような気がします。

テクノロジーが人の暮らしを支え、「境界」の概念は急激に変わっていきます。
高移動社会には「どこに住んでいるか」ということよりも、「どんなライフスタイルを求めているのか」ということが重要になり、働くことも「生きるために稼ぐ」から「楽しむために生きる」に変わっていく。地方自治体が平成の時代に縛られて苦しんできた「人口論」を基礎とした地方創生の向こう側には、「境界論」こそが究極の解決策となる時代がやってくる。

国家(自治体)という境界
年収格差という境界
栄える地域と滅びゆく地方との境界
言語や言葉という境界
男女格差という境界
年齢や世代という境界
人種や宗教という境界

あらゆる「境界」のあり方を誰もが真剣に考えるようになり、「境界」を溶かす思想がテクノロジーに実装されていくと、僕らの生きる場所と時間が一つに混ざり合っていく。それは未だ人類が体験したことのない、極めてユニークな未来への扉を開く瞬間に立ち会っていることであり、振り返ってREIWAが偉大な転換点であったことに気づくのだと予感してやまないのです。




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