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軽症者受け入れホテルに差し入れを続けて起こった奇跡のようなできごと。

昨日、会社に一通のハガキが届きました。

”突然のハガキ、大変失礼致します。
私事ですが、子どもたちが続けて〇〇ホテルに入り...
毎日同じようなお弁当の日々の中、九州パンケーキさんからの、サラダの差し入れがあったと、写真を送ってくれました。
嬉しかった、と。
私もとてもうれしくなりました。
貴社のその心、とてもあったかくなりました。
ありがとうございました。
落ち着いて元気になったら、ぜひ、また、パンケーキ楽しみたいと思います。
本当にありがとうございました。”

(※プライバシーに配慮して、一部表現を変えています)

コロナ感染症の第2波、相次ぐクラスター報道。

「今日の陽性者は〇〇人でした」
「〇〇番目の感染者の経路は...」
「累計感染者数は〇〇人です」

僕はいつの頃からか、こんな風に感じていました。

運悪く”陽性”と判定された方、また発症して体調を壊した方に、まるで監視番号をふって一般生活からは隔離して、区別しているようなものだな。

もちろん、(行政や保健所も)患者さんのプライバシーに最大配慮していらっしゃる以上、そうせざるを得ない事情は重々承知しています。市民の「知りたい」という要望にも答えなくてはならないし、感染拡大防止の観点からも情報開示は必要でしょう。

しかし、数字だけを毎日追い続けることになんの意味があるのだろうか。
感染者〇〇号と振られた番号そのものには、なんの感情も感じません。
しかし、すべての番号の向こう側には不安な毎日を過ごしながら、家族と支えあいながら、(ときには)社会の差別の目に怯えながら、療養を続けている一人ひとりの人生があります。

スマホに入れているニュースアプリのローカルニュースでは、感染者の数字や感性経路の情報が毎日流れています。「速報」扱いで、今日の感染者は0人でしたとか、1人でしたとか言っている麻痺した報道感覚のみならず、それを日常として挨拶がわりの会話ネタにしている受け手側も麻痺している(日常化している)わけです。

軽症者の皆さんが療養されている宿泊施設では、皆さんどんな生活をしているんだろう?そう感じたのが、僕らがサラダやジュース(自社プロダクトのベジフルーツスムージー)を差し入れするようになったきっかけです。

気になって県庁の知人や仲間のツテをたどって、軽症者受け入れホテルの担当者の方とお話をさせていただく機会をいただきいました。

わかったことは、皆さん軽症だから長期滞在はいない、1日中狭い部屋の中にいてフロアに出れるのは1日1時間だけ、そして、毎日ほぼ同じようなお弁当を3食提供されるということ。

コロナとの共存が日常となった社会=withコロナの時代です。今僕らに必要なものは、「もし自分が」「もし家族が」「もし友達が」という自分感覚です。毎日、毎日、朝昼晩と同じ冷めた弁当が届いたとしたら、僕なら耐えられません。

施設への差し入れを、療養宿泊所の入居がゼロになるまでやろう。
そう決めました。

顔も姿も見えない、おそらく会うこともない方々への無言のエール、です。

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毎週2回、入居者の人数を確認して、スタッフの皆さんの分を含めてサラダやジュースをお届けする。そんなに負担を感じているわけでも無いですし、僕らは、できることを、できる範囲で、肩の力を入れずにやれる範囲で続けていきました。

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そんなやりとりが数週間続いた9月2日に、ハガキが届きました。

差出人の無い手紙です。しかし、暖かいお礼の文面に接して、不思議なことですが、僕ははっきりと、この方との絆を感じました。想いは届いていたのだと、胸の奥が熱くなりました。

3月以降、僕ら飲食店は、とても苦しい日々が続いています。

雑誌や新聞でも「〇〇件の廃業」「今後、〇〇件が廃業の危機」といった記事が目立つようになりました。ある日突然、不要不急な存在と言われて、営業時間の短縮をせざるを得ない状況となりました。

これから冬を迎え、またいつ警戒モードが強くなって、日々の営業ができなくなるかもしれません。もしかしたら、弊社グループもいくつかのお店を閉じなくてはならないかもしれません。

自分たちの存在意義はどこになるのだろう。
無くても誰も困らない商売なのだろうか?
そう感じてしまって、スタッフたちも、自信を無くしかけていました。

そんなときに、届いた一通の手紙。

お礼を言わなくてはならないのは僕らの方です。
本当にありがとうございます。
僕らの飲食店で働く者たちの生き方は、決して社会に不必要なオマケのような存在ではなく、誰か一人の喜びや感動を生み出すという使命を持った、地域に無くてはならない大切な仕事だということを思い出させてくれました。

昨日、9月3日に、もう一つ嬉しいニュースが届きました。

宮崎市内の療養宿泊施設の入居者がゼロになったそうです。

僕らの役割は、とりあえずおしまいです。
本当に嬉しいです。よかった...。

思いがけず届いたハガキから、これからの生き方を見つめ直すきっかけと勇気をいただきました。

いつかお会いできる日があれば、固く握手を交わして、お礼が言いたいです。

本当にありがとうございました!





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