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アンドレーエフってどんな作家?

この度刊行された同人誌『ゆめみるけんり vol.5』に、私が翻訳したレオニート・アンドレーエフの『ヴァーリャ』という短編が掲載されました。ある日、読書好きな少年ヴァーリャのもとに見知らぬ女性が現れ、彼の日常が大きく揺るがされることになるというお話です。

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ただ、このロシアの作家については、日本ではほとんど誰もご存知ないだろうと思いますので、簡単にご紹介したいと思います。

レオニート・アンドレーエフは、有名なドストエフスキーやトルストイよりおおよそ40~50歳若く(1871-1919)、19世紀末から20世紀初頭に活躍した作家です。ロシアではこの時代を「銀の時代」と呼びます。写真を見てみましょう。

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こんな方です。

私事にわたって恐縮ですが、アンドレーエフと私の出会いについて少々述べさせていただきますと、それは私のロシア留学時代にさかのぼります。そのころ私は非常に深刻な「日本語読みたい病」に苦しめられていたため、母親になんでもいいから小説を送ってくれと頼んだことがありました。そして届いた小包の中あった夏目漱石の『それから』をむさぼり読んだのですが(そして陰鬱な気持ちになった)、その中にアンドレーエフについての言及があって、興味を持ったのが始まりです。漱石のみならず、明治時代、大正時代には日本でもかなり読まれたらしく、国会図書館のデータベースで検索すると、二葉亭四迷や森鴎外ほかたくさんの翻訳がヒットします。ところがその流れはなぜかその後ぱったり途絶えたようで、現在入手可能な訳書はほとんどありません。1990年代の『ユリイカ』に「アンドレーエフの復活」というような威勢の良い見出しがありましたが、残念ながら予言は成就しなかったようです。

このような事情は本国ロシアでも同じで、生前、非常な人気作家だったアンドレーエフですが、死後急速に忘れられてしまいました。私が持っている全集の解説によりますと、第一次世界大戦、革命と、外の世界での大事件が相次ぎ、文学においてもパブリックなイデオロギーに対するスタンスが大きく問われるようになっていた時代に、外からは見えない個人の内面にこだわったアンドレーエフのような作家は場違い感が強かったのではないかとあります。また、アンドレーエフは当時文学における二大潮流であったリアリズムとシンボリズムのどちらからもやや隔たったところにいました。「~主義」は彼にとって自分の描きたい世界を描くための手段に過ぎないものだったため、文学の研究者からはやや中途半端に見え、取り上げられることが少なかったのかもしれません。ただ、一般の読者である現代の我々からすると事情はまた違ってきます。むしろ、あくまで日常生活に立脚しながら、その中に突如、不可解な深淵がぽっかり口を開くといったところを書いた点にこそ、この作家の魅力はあります。党派性が濃すぎたり、実験性が強すぎたり、当時の流行に流された作家の作品はもはや古くさくて読めたものではありませんが、巧みなストーリーテリングを駆使して、人間の内面と世界との相克という普遍的なテーマを扱ったアンドレーエフは今読んでも面白く、百年を経てようやく彼の時代が巡ってきたと言えるかもしれません。

アンドレーエフは、モスクワから南に360キロほど行ったところにある町オリョールで測量士の子として生まれました。子供のころから文才があり、友だちのために作文を代筆してやったりしていたそうですが、当時は作家になろうという気はなく、むしろ画家になりたかったようです。絵画への夢は終生断ちがたかったようで、何度か画家への転身を試みているほどですが、文学作品においても映像が目に浮かぶような視覚的な描写が彼の特徴の一つです。その後、ペテルブルク大学、モスクワ大学で法律を学び、弁護士として働くかたわら、新聞に時事的な短文を寄稿していましたが、初めて書いた短編『バルガモットとガラーシカ』が当時の大立者ゴーリキーの目にとまり、その後第一作品集が大好評を博するに及んで、一躍文壇の寵児となりました。

今回訳した『ヴァーリャ』も、その第一作品集に収められた短編です。「アンドレーエフの主人公は子供か、正気を失った人か、どっちかだ」と誰かが言ったとか言わないとかいう話もありますが、この作品も少年が主人公です。アンドレーエフは極度に繊細で寂しがり屋だったらしく、自分の見ている世界を代弁してくれるような繊細すぎるほど繊細な人物を愛したのでしょう。めまぐるしい筋の展開がこの作品の魅力の一つでもあるので、ネタバレは自重しますが、大人の言動を極めて冷静に観察しつつも、現実と幻想の境界が大人のようにははっきり分かれておらず、二つの世界のあいだを行き来する子供の様子が言葉で巧みに表現されており、訳者の私としてはそこに一番の魅力を感じました。私の訳稿を最初に読んでくれた妻によると、「思ったよりずっと読みやすかった。現代は親子関係の問題やそれを取り巻く社会状況がクローズアップされることも多いので、よいのではないか」とのことでした。因みにトルストイはこの作品を評価して最高評価の「5+」をつけたとか。

留学中、あるロシア人の知り合いに、アンドレーエフに興味があると言ったところ「暗いよー。あっ、それがいいのか」との返事でしたが、今度は私が皆さんに「暗いよー」とご注意申し上げておきましょう。ただ、『ヴァーリャ』はコミカルな描写もあって、暗すぎず、アンドレーエフ入門編として最適なのではないかと思います。私自身まだそれほど彼の作品をたくさん読んだわけではないので、また面白い作品が見つかったら翻訳してご紹介したいと思っています。

『ヴァーリャ』が掲載された『ゆめみるけんり vol.5』の入手方法はこちら。

※ここまで読んでくださった方の中に、「レオニーの間違いじゃねーの」と思った方が何人かいらっしゃることでしょう。事実、「レオニード」と書かれることが圧倒的に多いのですが、ロシア語では単語の末尾に来る濁った子音は濁りが取れるという発音上の規則があるため、「ト」のほうがより本当の発音に近くなります。従って「サンクト・ペテルブルク」も「ブル」ではなく「ブル」が正しいのです。さあ、これであなたもロシア語の蘊蓄がひとつ増えましたね。どうぞ方々で吹聴してください。もっとも、ロシア語のカタカナ音写は難しい問題で、Леонид/Leonidをできるだけ正確にカタカナに移そうとすると「レアニート」みたいになってしまいます。翻訳そのものと同じく、常にぎりぎりの妥協の産物とならざるを得ないのが実情です。

最後に、ロシア語のニュアンスについて丁寧にご教示くださったマリア・プロホロワさん、訳文について適切なアドバイスをくださった工藤順さん、忙しい中訳文を読んで感想を言ってくれた妻のちさとにこの場を借りてお礼を申し上げます。

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#ロシア文学 #翻訳 #アンドレーエフ #ゆめみるけんり

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