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母の願い

私が小学生のとき、もしも一つだけ願いが叶うなら何がしたい?と無邪気に母に聞いた。
すると、

もし願いが叶うなら、一度でいいから気球に乗ってみたかったなあ。

と母は言った。

子どもながらわかる母の本気の言葉だった。

そこそこ複雑な家庭環境で育った私の母は、母が小さいときから仕事でほとんど家を空けていて家事の苦手な母(私の祖母)に代わって家のことをほとんど行ってきた。
掃除、洗濯、料理。弁当も物心ついたときから自分で作っていたらしい。
大学生のときも昼間はアルバイトをして、夜間に授業を受ける。家に帰れば家事をする。
就職氷河期ど真ん中にぶちあたった就活、結婚。

そして専業主婦として私たち3人の子どもにさみしい思いをさせないようにしてくれた。
やりたいことはやらせてくれた。そして将来困らないようにと料理をはじめとした家事をゆっくり補助付きで教えてくれた。

私はあの会話をしたとき、「乗ればいいじゃん」と言った。でもそういう意味ではない。
今だからわかる。
あれは、母なりの「自由」に対するあこがれの気持ちがこぼれていたのだと。

だから私は自分の納得のいく就職をして、経済的に母から独立する。稼いだお金で母をヨーロッパ旅行に招待して気球に乗り、素晴らしい景色の上空でこう言いたい。
「私はもう大丈夫だから、これからはママの自由に、やりたいようにやってほしい。私も手伝うから。」

もしも叶うなら、というか私が叶えて見せる。

#もしも叶うなら

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