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嘘つきな君へ 第三話-3

こんにちは、ときめき研究所のKEIKOです。
今日はおやすみだったのでこの時間に更新。勇人のモデルは、名前そのまんまなんですが柿澤勇人さんです。わんちゃんみたいでかわいいのに、お歌歌うときのパワーったら!大好きな俳優さんです。勇人と恵芽が急接近の会です。ではどうぞ〜!

嘘つきな君へ 第三話 上野恵芽の決意-3

 正確にこの家の全体像が見えないから、位置関係がまだ分からないけれど、恐らく勇人さんの部屋はこの家の1階の端っこにあった。
 勇人さんは廊下を歩くときも、和己さんのように振り返ることは一度もない。だけど歩幅が合っているのか、不思議と小走りになったりすることもなく、部屋までたどり着いた。
 男の人の部屋に入るのってどきどきする。…この人は私の兄妹だけど。
 そんなことが頭をよぎりながら、勇人さんの背中に続いて、私は部屋に入った。

「わ」

 部屋に入ると、そのほとんどが窓だった。部屋のほぼ一面がお庭に面していて、暗いから外の様子は分からないけど、たぶんすごく広いお庭だ。
 ソファと、ローテーブルと、ベッドとグランドピアノだけ。無駄な家具がひとつもない部屋だった。家具自体も、シンプルでモダンなデザイン。確かにお父さんが言うように、とてつもなく大きなベッドに、清潔そうな白いシーツがかかっていて、グレーのファーのブランケットが無造作にかかっていた。

「…今まで見たベッドの中で、いちばん大きいかもしれない…」
「…へー」

 素直に感想が口から出たけど、勇人さんからは乾いた返事が届いた。
 まぁ、返事が来ただけ、マシか…。

「…シャワー浴びてくる」
「あっ、えっ、はい…」

 勇人さんはそう言うと、私の返答を待たずして部屋の奥の方に消えていった。お風呂までついているのか、この部屋は…。
 なんとなくきょろきょろ部屋を見回すのも悪い気がして、私はソファに腰掛けてみた。黒い革のソファ。視線の先に大きなベッドが見えるのが、なんとも落ち着かない。
 そわそわして私は、和己さんが渡してくれたスーツケースの荷解きをした。開けるときに気付いたけど、スーツケースはグローブトロッターだった。まだ新しい革のかおりがする。中を開けると、質の良さそうなパジャマと下着類、明日の着替え用のワンピースとパンプス、スキンケアからメイクする用のコスメまで全て一式入っていた。このままどこか旅にでも出れそうだ。というか、全部私が持ってるのより高いコスメじゃんこれ…。下着もかわいかったし、見たことないブランドのものだった。まぁ確かに、これは女性が選んだって先に言わないと、いろいろ誤解を招くラインナップだ。
 私がスーツケースの中身に感激していたら、いつの間にか勇人さんがお風呂から出てきていた。さっき来ていたのとは違う白いTシャツに、グレーのスウェット。首にはタオルがかけられている。筋肉質な身体がシャツの上からでも分かって、どきっとした。お風呂上がりの男性を見慣れてなくて、いっそう気持ちが落ち着かなくなる。免疫がなさすぎる自分に呆れる。

「あんたも早く入ってきなよ。酒臭い人と寝たくないから」
「あっ、はい。すみません!行ってきます!」

 いたたまれないのと、気まずいのと、それから男女の性別の壁を越えて、人間的に私のほうが圧倒的に負けている気がして、なぜか謝ってしまった。和己さんが渡してくれた荷物を持って私は、一目散にお風呂場へと向かった。

 お風呂というか、簡易的なシャワールームだったけど、恐らく私の家のバスルームくらい広い。生まれて初めて頭上についているタイプのシャワーに遭遇して(レインシャワーというらしい)、盛大に上から水をかぶったことは内緒にしておこうと思った。アメニティも見たことないブランドので、いい香りがした。ふかふかのタオルはホテルのそれみたいで、気持ちいい。いちいちこういうのが慣れない自分が恥ずかしかったけど、ちょっと新鮮で楽しかった。

「…部屋にもシャワールームがついてるって、なんかすごいね」

 お風呂から上がって、私は一番に感想を言葉にした。
 
 ベッドの上に寝そべって何かの本を読んでいた勇人さんは私の方を一瞬見て、

「…別に普通」

と、また乾いた相づちをくれた。

「……」
「……」

 そのおかげで、私たちはそれ以上の話が続かなくなった。
 あと数時間したら朝になるのがせめてもの救いだ。こんな気まずい感じで長時間一緒にいるなんて辛すぎる。
 眠気のおかげで頭が働かないので、上手く勇人さんに気も使えなさそうだし、ぼろが出ない内に早いところ寝てしまおうと思った。

「も、もう寝るね。私こっちのソファでいいから!ごめんね、こんなことになっちゃって」

 そう言って、私は腰掛けていたソファに横たわった。ベッドの方は見たくなかったから、勇人さんに背を向けて。

「おやすみっ」

 私が横になってから、ほんのわずか数秒だった。

「…え」

 気付いたら、寝ている私の腕を勇人さんが掴んでいた。腕が引っ張られた拍子に、顔がその方向に向いて、私のすぐ近くに勇人さんの顔があった。くるくるの髪の毛の隙間から見える勇人さんの顔が、さっき下から見上げた理人さんにやっぱり少し似ていて、どきっとする。

「起きて」
「え」
「そんなとこで寝たら風邪引く」

 掴まれた腕ごとぐいっと引っ張られ、そのままずるずるとベッドの方に引きずられた。もうほとんど眠りかけていたので、身体が重たい。重たいはずなのに、大変な様子も見せず、勇人さんは私をベッドの方に連れていった。少し強引だけど、相変わらず歩幅は合っている。……?これって、私に合わせてくれている?
 そのまま勇人さんは私をベッドに座らせると、グレーのファーのブランケットを私にかけてくれた。

「あんたが風邪引いたら親父たちがうるさい」

 勇人さんは私の座っている、ベッドの反対側に回ると、枕元にあったたくさんのクッションで、私との間に堤防のようなものをせっせと作り始めた。大きすぎるベッドは堤防でふたつに区切ったとしても、ひとり分のスペースはシングルベッド以上の大きさがある。

「そんなのめんどくさくて勘弁だから」
「そ、そだね…」

 私の様子には見向きもせずに、ベッドの真ん中に立派なクッションの堤防を作ると、

「ん」

と私を見ながら、勇人さんは顎で早く寝ろと催促した。

「あ、ありがとう…」

 境界線の様に敷かれたこの堤防は、私が警戒しないようにと作ってくれたのかと思うと、なんだか悪い人じゃないのかもと思ってきた。催促に応じてベッドに身体を預けると、心地よい弾みが返ってくる。

「わぁ…気持ちいい…!」

 高級なベッドの、初めての感覚に思わず声が出た。はっとして勇人さんの顔を見ると、無表情でこちらを見ている。

「あっ!なっなんでもない!」

 恥ずかしくて思わず顔が赤くなり、両手を振ってごまかした。何もかも全て、庶民には刺激が強いものが、この家に多すぎるのが悪い。
 私の反応を見た後、勇人さんは私のことなんて心底どうでも良さそうに、背中を向けて堤防の向こうに消えた。大きなベッドだけど、勇人さんが横になった振動が私の方にも伝わった。ほどなくして、勇人さんがリモコンで操作したんだろう。部屋の電気が消えた。暗い部屋で男の人とふたりきりになって、嫌でも身体が強ばるのが分かる。緊張する。

「あんたさ」
「…え?」

 勇人さんが築いた堤防のおかげで、向こうがどうなっているのか全く見えないけど、しばらくして勇人さんが話しかけてくれた。

「こないだのカフェの、店長と付き合ってんの?」

 突然の質問に、どきりとした。

「…なんで?」
「店長があんたのことばっかり見てたからさ。なんかあんのかなーと思って」
「……」

 やっぱり子犬君は勇人さんだった。
 そして、店長という単語を聞くだけで、心臓が握りつぶされたような気持ちになった。つい数時間前のことなのだ。
 返答もできずに、恐怖で思わず身体が勝手にきゅっと縮こまる。

「…ごめん。聞いたらまずいことだって知らなかった」

 また向こう側から勇人さんの声が聞こえた。言葉にはしてないけど、私の様子に気付いてくれたのだろうか。

「…いや、そんなんじゃないんだけど、でも…いや、ちょっとまずいかも…」

黙っているのも変だなと思ってしゃべるけど、さっきの出来事が自分の中でまだ消化しきれてなくて、上手く話せない。

「ふーん」

 勇人さんが答える。

「なら聞かない」

 顔は見えないし相変わらず言い方は冷たい。
 だけど、きっと勇人さんは優しい人なんだろうと思った。まだ傷口が生々しすぎる今は、詮索されない適度な距離感が逆に、とてもありがたかった。じわじわと勇人さんなりの気遣いが沁みてきて、私もちょっと話しかけてみようと思った。思ったけど…。

「……あの、」
「……なに」

 なんて呼べばいいのか、困った。

「勇人、くんはさ…」
「……」

 なんとなくそう呼んだものの、向こうからの反応がなくて、言葉に詰まる。見かねた勇人さんが、口を開いた。

「勇人でいい。タメなんだろ俺たち」

 そうだ。私たちは同級生で兄妹で、家族なんだ。

「あ、ごめん。…勇人、はさ」

 初めて呼び捨てにするけど、言いながらもなんだか違和感しかない。

「こないだうちのお店に来て、何書いてたの?」

 見かけたときに気になっていたことを、私も聞いてみた。

「スコア」
「スコア?」

相変わらず簡素な返答が向こう側から届く。

「…楽譜。作曲してた」
「作曲?」
「…大学の課題」

 大学生なんだ…。

「なに?勇人って作曲家なの?」
「…音大だったら普通」
「…音大に行ってるんだ」

 顔は見えないし、言葉は無愛想だけど、会話が初めてラリーのように続いた。ちょっとずつ勇人のことを知れるのが嬉しかった。

「それでさっきピアノとか留学とか言ってたんだ」

 突然できた同い年の兄弟についての情報の欠片が、パズルみたいにつながっていく。ぶっきらぼうな勇人がどんな曲を書くのか純粋に気になった。

「今度、どんな曲なのか聞かせて」

 単刀直入にお願いしてみる。

「…なんでだよ。あんたに関係ない」
「き、兄妹だから!いいでしょ?」
「そう都合よく兄妹って言葉使わないでくれる?」
「…」

 なんとなく結果は聞く前から分かってるような気がしたけど、やっぱり断られた。そして、その会話をもって、短い私たちのラリーは終わった。
 実は、現実と夢のぎりぎりのところで会話していたんだと思う。黙ってしまったらいよいよ、自分の意識が遠のいていく。目を閉じる間際のところで、ベッドが揺れた。向こう側で勇人が、寝返りを打つのを感じる。こっちを向いた…?

「……そういう機会があったら」

 私がまどろんでいるからか、それとも勇人がためらっているのからなのか、なにが理由かは分からないけれど、少し小さい声で、勇人は言った。

「勝手に聞けば」

 言ってすぐに、また勇人が背中を向けたのがベッド越しに伝わった。言葉はぶっきらぼうだけど、ちゃんと一回こっちを見て話しかけてくれる、律儀な人。勇人について今日分かったことのひとつになった。

「早く寝たら。誰かさんのせいでもうとっくの昔に明日になってるから」

 相変わらず淡々と乾いたトーンだ。

「…本当に、今日はごめんなさい」
「…ん」
「おやすみなさい」
「おやすみ…」

 そんな風に初めてのおやすみの挨拶を交わして、私たちは眠りについた。とはいえやっぱり今日出会ったばかりの男の人の近くで寝るのは緊張して、なかなか私は寝付けなかった。
 しばらくすると、静寂の中に、すぅすぅと勇人の寝息が聞こえてきた。一定のリズムのそれが妙に心地よくて、そっと私も瞳を閉じる。そして、それからの記憶がないくらいぐっすりと、私はその夜眠りに落ちた。夢を見る隙もないくらいに。
 明日から始まる新しい生活に、少しだけ期待を寄せて。

第四話に続きます!