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『折れたポール』(首都圏篇)Vol.1 高速練馬線計画と外環道

関越道は練馬で終わっている。
東北、常磐、東関東道方面を放射状につなぐ東京外環道とは大泉JCTで接続しているものの、直接首都高と往き来はできない。

関越道練馬IC入口
(東京都練馬区 2023年5月28日撮影)
この地点から目白通りが始まる
緑のフェンスは練馬ICの防音壁
(東京都練馬区 2023年5月28日撮影)

外環道を経由すればいいのだが、一番近い池袋線までの大泉料金所~美女木間でもETCで430円、現金で1040円かかる(普通車)。練馬ICを下りた先は目白通り、そこからすぐの交差点で環八にぶつかる。東名まで行くには外環がない以上環八南下しか手段がないが、首都高までは料金がかかるとは言え外環があるし…。

首都高は高い

最近、ETC専用出入口が増えていて、首都高では35箇所ある。

首都高中央環状線・高松入口
2022年4月1日からETC専用となった
(東京都板橋区 2023年7月8日撮影)

ETCで利用すれば対距離料金となり、普通車の場合最低は300円、最高は1,950円。軽自動車の場合は最低は280円、最高が1,590円。
現金支払いの場合は自動的に上限金額となり、乗る区間が短ければ短くなるほど損をする。

練馬ICの位置をどう考える?

大泉JCTで外環へ行く選択肢を逃せば、目白通りへ下りるしかない。首都高の路線網を見てみる。

関越道・練馬ICと首都高
(首都高速道路株式会社 路線図使用)

練馬ICで目白通りに出ると、最寄りは中央環状線。板橋本町出口を過ぎると大井JCT方面へは山手トンネルへ潜り、西池袋、中野長者橋を過ぎて西新宿JCT(×4号新宿線)、大橋JCT(×3号渋谷線)へと至る。
ただ、要町坑口(板橋JCT)から中野長者橋にかけてはサグ渋滞が常態化し、そこへ更に4号新宿線からの渋滞が波及することで最長20km以上になる。

中央環状線・山手トンネル
要町坑口付近
(東京都豊島区 2023年7月8日撮影)

それに、西池袋入口は大橋JCT方面のみ、中野長者橋入口は板橋JCT方面のみと練馬IC付近からの利便性には難がある。
位置的な問題と渋滞の酷さの面からみて、中央環状線沿線や都心へ向かうには、残念ながら高速利用のメリットは多くない。

ただ、関越道から枝分かれする高速道路2路線の時系列を考えてみる。
練馬区にそう遠くない埼玉県鶴ヶ島市の鶴ヶ島JCTで分岐する圏央道。1987年に八王子JCT(×中央道)から鶴ヶ島JCT間が開通。当時孤立状態だった関越道が中央道と高速道路で往き来できるようになった。

東京外環道の開通が1992年で、国道254号すぐの和光ICから三郷JCTまで。その1年半後の1994年、大泉JCTまで延びる。
関越道練馬IC自体は1971年からあり、圏央道まで16年、外環道まで21年かかったことになる。首都高速も各路線の開通が進んでいる頃で、接続計画が全く無かったとは考えづらい。

通過交通の都心流入抑制=首都高

戦後、東京では急速な交通量の上昇と街路整備の遅れのなか、交通渋滞の緩和を目的とし首都高速道路が計画され、1959(昭和34)年6月に首都高速公団が発足した。そのような中、公団の発足直前である1959(昭和34)年5月に東京オリンピック開催が決定し、開催までわずか5年間と限られた期間でオリンピック関連高速道路を開通させることが、公団にとって当面の最大の使命となった。

建設コンサルタンツ協会「東京オリンピック1964に向けた首都高速道路の整備」より

首都高速の歴史は1度目の東京五輪に遡る。
狭い都市部でネットワークを構築するにはJCTが多くなりがちで、ただでさえ高度経済成長期の東京に高速道路を建設できる用地は多くない。
100%完成には今だ至っていないが、実際に都心環状線を1周してみると、ギリギリを攻めたスゴい建設だと感じる。

「高速道路」を名乗ってはいるが、制限速度は都心環状線で50km、その他郊外へつながる新宿線や渋谷線、池袋線などは60kmまで。
隙間を縫って建設されているから線形も悪く、制限速度としては妥当。信号だらけ、路駐だらけの下道を走ることに比べたら、首都高の存在は必要なのだ。

著者「日本橋の上に首都高があるんだよ」(←だから何w?)

都心環状線と日本橋
(東京都中央区 2023年8月15日)

日本橋は、東海道を踏襲する国道1号、日光街道と奥州街道を踏襲する国道4号、中山道を踏襲する国道17号の起点でもある。

道路元標の位置を示す柱
(東京都中央区 2022年6月12日撮影)
橋上のセンターラインに埋め込まれた「東京市道路元標」跡を示すプレート
(東京都中央区 2022年6月12日撮影)、

橋がかかる川は日本橋川。水はお世辞にも綺麗とは言い難く、高速道路で作られる影によって景観もマイナス。
日本橋川は文京区方面へ神田川につながり、川の真上をなぞるように首都高がある。増える自動車、間近に迫る東京五輪、建設に急ぐ公団、その影で重要な日本橋は割りを食った。

銀座のホコ天を救った存在

日本橋、銀座の街は明治期に日本初の百貨店となった「三越」、日本におけるアイスクリーム製造・販売のパイオニア「資生堂パーラー」など未来へのスタート地点でもある。

国道15号(第一京浜)の銀座区間
休日は歩行者天国となる
(東京都中央区 2023年5月20日撮影)

土日や休日のお昼頃からは第一京浜の銀座区間は歩行者天国となる。日本橋と横浜を結ぶ幹線道路である国道15号は、国道1号の旧道に当たる路線。起点は同じ日本橋で、南詰にあたる「日本橋」交差点で1号は永代通りへ、15号は中央通りをそのまま南下する。

事実上の新旧分岐点となる「日本橋」交差点
(東京都中央区 2022年6月12日撮影)

すぐ横を並行して走る昭和通りが迂回路になっているだけではなく、首都高の存在もホコ天存続に寄与している。
日本橋が影に隠れ、半世紀以上ぶりに再び空を見せるためのプロジェクトが進行中。ただその反面、幹線国道がテーマパークの一部となり、銀座の街を守ったのはそんな"犠牲"があったからだと思う。

目白通り真っ直ぐ行けば早稲田、神田へ

練馬IC方向に目白通りを眺める
(東京都豊島区 2023年7月2日撮影)
豊島区・新宿区境
(東京都新宿区 2023年7月2日撮影)

話題とは真逆の日本橋に話が逸れてしまったが、短工期で建設された首都高の姿は、まさに何でもありだということが分かる。
そんな現場をみてから練馬ICへのアクセス路線である目白通りを眺めてみると、なんかおかしい。

因みに、目白通りを真っ直ぐ走っていけば早稲田、飯田橋、神田方面へ通じる。
地元に住んでいた私の記憶が甦る。
「タクシーを目白通りで拾う」→「神田方面へ行く」の流れ、通り沿線にある目的地へ行く時は「とりあえず目白通りを真っ直ぐ」と指示していた。
今も昔もあの通りに高速なんて無かったよな…。

地元へ帰る時、「練馬IC」と「目白通り」ユーザーとなった私。「あったらいいな~」の願望から、一発調べてみるか❗

                   続く

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