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【行動習慣】正岡子規に学ぶ飽食の危険具合【病気】

食べ過ぎはやはり良くない!?

こんばんは。
カーボです。

僕は正岡子規が、けっこう好きです。
主に『坂の上の雲』の中の人物像ですが😄

大将肌で無鉄砲。
頭脳は明晰だけどそれ以上に
喧嘩早くて生き様が面白い。

そんな子規ですが、
35才の若さで脊椎カリエスという
病気で亡くなっています。

シンプルに当時の医療技術の
未熟さかと思っていたのですが、
その食事実態をみていくと、
現代の感覚からすると異常なまでの
子規の食欲と暴飲暴食ぶりが
見えてきます。

とても興味深かったので是非読んでみてください!

◯子規の普段の食事が常軌を逸してる

若くして病気で亡くなったので
お粥一杯もやっとで細々…
と思っていたのですが、
子規の、食事はその真逆で
豪勢を極めました。

◆朝 
 ぬく飯 三わん  
 佃煮 
 なら漬 
 胡桃飴煮 
 牛乳五合ココア入 小菓数個

◆昼
 堅魚のさしみ 
 みそ汁(具は玉葱と芋) 
 粥 三椀 
 なら漬 
 佃煮 
 梨一つ 
 葡萄四房

◆間食 
 牛乳五合(ママ)
 ココア入 
 ココア湯 
 菓子パン小 十数個 
 塩せんべい 一,二枚

◆夕 
 焼鰮(やきいわし)四尾 
 粥 三わん 
 ふじ豆 
 佃煮 
 なら漬 
 飴 二切

どうですか。
この食べっぷり。

お粥一杯どころか3杯は当たり前。
その上に
牛乳を2リットル近く飲み、
葡萄を4房も食べ、
間食で菓子パンを十数個食べる…

これを寝たきりの病床で食べていた
というのですから常軌を逸してます。

子規は筆まめで毎日律儀に
この食事内容を書いてくれてますが、
毎日本当にこんな感じ。

当時の日本でこれだけの食事を
用意できるって本当贅沢ですよね。
(今に直しても食費かかり過ぎ?)

◯食に関する正しい知識の大切さ

もちろん明治の日本に食べ過ぎ
による害という考え方はなく、
「栄養のあるものを食べれば食べるほど良い」
という考えだったのでこんなメニューに
なっていたのだと思います。

糖分も、たっぷりの食事ですが、
誰も糖分過多など気にしません。

子規の家族、母と妹もそれが
体に良いと信じて自分達は
一汁一菜の食事なのに子規のために
せっせと豪勢な食事を提供
し続けていました。

皮肉なことに粗食だった
家族二人の方は
その後も長命を保ちます。

脊椎カリエスを、引き起こし、
悪化させたのは食事だったのでは…
と思うと、悔やんでも悔やみ切れないです。

正しい知識というのは本当に
大事ですよね。

その食の正しい知識さえあやふやなのが
現代ですが、子規が、生きた100年前よりは
はるかにわかることが増えている
のではないでしょうか?

食事には気を使って
食べ過ぎにはやはり注意したいですね!

では、また明日も良い一日を!

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