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コミュ力ってなんだ

友人4人で食事に行った時のこと。

そのうち2人はお笑いが好きで、近々あるM-1グランプリの話をしはじめ、出演する芸人のネタや彼らのYoutubeチャンネル、さらには数年前のネタの話など、すごく盛り上がっている様子だった。

しかし私ともう1人の友人はお笑いにそこまでの興味はなく、当然彼らの話には着いていけない。しかも私たちが座っていたのは4人掛けのカウンター席で、その中央の2席で2人がお笑いの話をするものだから、話について行けない私たちはただただ盛り上がる彼らを笑顔で見守るのみ。

一通り話し終わったところで、
「ちょっとさすがにこいつら可哀想になってきたし腹一杯やから店出るかー」



彼らは普段も弁が立つ方で、私たちが所属するサークルの中でも会話の中心になっていることが多い。そういった意味で盛り上げ役を買って出てくれていることにいつも感謝しつつ、彼らに比べると口下手な私は、尊敬の眼差しを彼らに向けていた。コミュニケーション能力の高い人、いわゆる「コミュ強」として彼らを捉えていた。

でも、彼らはそうではないということが今日分かった。彼らは「突破力」があるのだ。ワールドカップの影響でサッカーに例えてしまいがちだが、彼らはクリスティアーノ・ロナウド選手やエムバペ選手のように、強烈な個でドリブル突破する力を持っているかもしれないが、同時に、彼らのようにポストプレーや的確なクロスといった仲間との連携プレーで得点に関与する、というような観点が欠如しているのではないだろうか。

当然私にも落ち度はある。彼らが盛り上がっている芸人の話を聞いて、Youtubeでそのネタを一緒に見て笑い合うとか、4人で盛り上がれるような新しい話題を提供するとか、やりようはいくらでもあったように思う。反対に、別の人と話していて、自分と相手とを比べたときに自分の方が「突破力」がある場合、自分語りばかりになってしまうこともあった。こんなことは、大学生になってまで思い悩んだり反省したりすることじゃないよなーと自分の未熟さにガッカリする。

こんなことを考えていて私はクロアチア代表のモドリッチ選手のプレースタイルを思い浮かべた。攻守において献身的に動き、仲間と連携するその姿は、私がこれから築いていきたいコミュニケーション、ひいては人間関係そのものだ。

私はモドリッチ選手になりたい。

(筆者はサッカーはニワカです。プレースタイルの認識など、誤りがあったらごめんなさい)


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