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みんなが「何者か」になりたい時代に自分を見失わないでいる方法

現代は、多くの人が「何者か」になりたいと思う時代だ。

名前も知られていなかった人物がTikTokから生まれて半年でスターになっていく姿。名刺交換もしたことがある同業界の人がtwitterで見せる精力的な活動。友人知人が投稿する旅行先、交友関係、料理、家、車....

これまで知ることがなかった(そして、知る必要がなかった)世界を知り、嫉妬心や情熱を駆り立てられ、自分も彼らと同じように「何者か」になりたいと思う人が多くなった。彼らが見せているものが生活のほんの一部(もしくは一部ですらなく、虚構かもしれない)であることも忘れて、自分もそうなりたい、と思ったことは誰にでもあるだろう。

「何者か」を目指すことは決して悪ではない。しかし、手段を誤ってしまうと不幸が生まれる。

栗城史多という登山家について書かれたノンフィクション『デス・ゾーン』を読んだ。35歳で命を落とした1人の登山家は、今を生きる多くの人と同じように「何者か」になることを目指す中で、いくつかの過ちを犯し、命を落とすことになった。(事故による転落死という解釈もあるが、真相は不明。本書の中には彼が自ら死を選んだと捉えられるようなエピソードも挙げられている。)ここには、誰もが「何者か」になろうと必死で生きる現代人に向けた示唆があるように感じたので、その気づきを整理したい。

デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場 (集英社学芸単行本) 河野啓 https://www.amazon.co.jp/dp/B08P342DPT/ref=cm_sw_r_tw_dp_vQfbGbG8PAHJH

『デス・ゾーン』という作品。栗城史多という人物について

私はこの本を読むまで栗城史多という人物のことを知らなかった。ではなぜこの本を読んだのかというと、日経新聞の書評欄のほか、購読しているメルマガやサロンでもここ数日、目にすることが多い書籍だったから。中でも尊敬する起業家の2人が「面白い」と評価していただけでなく、それぞれに考えさせられたキッカケになったという話を聞いて読んでみようと思った。

2020年の開高健ノンフィクション賞の受賞作でもあるらしい。

栗城史多という人物は、「新時代の登山家」だった。自らの登山のプロセスをインターネットで配信したり、TVや雑誌など様々なメディアにも取り上げられ、「登山」に興味がなかった人にまで夢を与え、応援されていた有名な登山家だったそうだ。

しかし、彼が「セールスしていた彼自身という商品」には「瑕疵」があったという。

彼がセールスした商品は、彼自身だった。その商品には、若干の瑕疵があり、誇大広告を伴い、残酷なまでの賞味期限があった『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』 (集英社学芸単行本)河野啓

詳しくは本書を読んでいただきたいが、自分を売るために自分を大きく見せることから抜け出せなくなってしまった彼の人生は失意のままに終えてしまう。

栗城史多が犯した過ちとは何だったのか

彼は人を喜ばせることが大好きなお調子者だったようだ。そして、周りの人たちを喜ばせ、笑わせ、愛されるだけの才能や愛嬌を持ち合わせていた人物でもあったことが様々なエピソードから伝わってくる。

そんな彼はたまたま出会った「登山」の中で、自分をより面白くより魅力的に演出するプロデュース力を発揮し、多くのスポンサーやファンを集めることになるのだが、その中で自己意識が肥大化し、少しずつ化けの皮が剥がれてしまう。

本書を読み進めると、彼は登山が好きだったわけではなく、登山を通して注目されること、そして周囲の人々に勇気を与えられることに喜びを感じていたことがわかる。

彼の不幸のはじまりは、彼自身の「好き」でも「得意」でもない領域で注目を浴びてしまったこと。そして、浴びせられた注目によって、自己意識を肥大化させてしまったことにあるのではないだろうか?

そしてこれは、常に「何者か」を目指して必死で生きている我々にも思い当たるところがあるのではないだろうか?

私たちが学ぶべきこと

喜ばれることを第一の目的にしてはいけない。

自分の「好き」を偽ってはいけない。

それが本書を読んで痛烈に感じたことだった。

お客様に「喜んでもらう」、見る人に「夢を与える」ことはイイコトとされるけれども、これが第一の目的になってしまうと、自分が置き去りになってしまいかねない。

まずは、自分が「好き」と思えること、自分が命を懸けてでも没頭したい対象を見つけること。

それをやり続けたときに、もしかしたら関わる人に喜びや夢を与えられるかもしれない。そして、結果的に「何者か」になれるのかもしれない。

そう思えば、この世の中も少し楽に生きられるんじゃないだろうか。

補足

私は栗城史多さんと面識がなく、この本を通して初めて存在を知ったにすぎません。このnoteは本の中で自分が感じたことを表現したものですが、彼の最期が「不幸」だったと断言する意図はありません。ただ、命を落とすことになる前に、もっと楽に生きられる方法があったのでは?と思い、悲しい気持ちになりました。なので、それを「不幸」と表現したことを補足させてください。

そしてなにより、彼の人生や彼が取った行動、エピソードには共感させられるところがたくさんありました。一緒に人生の話をしたかった。ご冥福をお祈りします。

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