我が生涯に一片の悔いなし〜北斗の拳のラオウから学ぶ人生観〜

おはようございます!
大地球吾です

今回は、人生観について書こうと思います

漫画『北斗の拳』に出てくるラオウという人物をご存知でしょうか?
「我が生涯に一片の悔いなし」という言葉ぐらいは聞いたことがある人も多いかもしれません

ちなみに、ラオウは漫画に出てくるキャラクターであるにも関わらず、本物の寺院で葬儀が行われ、その葬儀には雨の中なんと約3,000人が参列したという、圧倒的な存在感と人気を持つキャラです

※北斗の拳OFFICIAL WEB SITEより転載

北斗の拳を知らない方もいると思うので、簡単に解説すると、舞台は世紀末で、核戦争の後に荒廃しきった世界で、北斗神拳の伝承者であるケンシロウという主人公が救世主として立ち上がります

そこに対するは、北斗神拳を学びながらも、伝承者にはなれなかったものの(北斗神拳は一子相伝なので、伝承者は1人だけ)、圧倒的な体格と力を持っているラオウ

ラオウは、圧倒的な武力を以て自分が世紀末覇者として君臨し、争いのない世の中をつくりたいと覇道を行きますが、ケンシロウは王道を行き、ぶつかります

その壮絶な闘いについては漫画本編を読んでいただくとして、ラオウはケンシロウに敗れ、立ったまま拳を突き上げ、上記の名言を残してこの世を去ります

ここで問題です

ラオウは「我が生涯に一片の悔いなし」と言っていますが、前述のビジョンを達成しているのでしょうか?

答えはノーですよね

それなのに、「一片の悔いなし」と言えるのはなぜなのでしょうか?

僕が考えるに、結果として自分が覇者として君臨はできなかったものの、そこに至るプロセスを全力でやり尽くしたと自分で言えるから、あの言葉を残せたのではないでしょうか?
※非道の限りを尽くしているので、そこに悔いるべきというツッコミはご容赦ください笑

上記でわかる通り、結果ももちろん大事ですが、そこに至るプロセスもとても大事だと思います

僕は、「自分がこの世の中でどこまで通用するのか?そこに挑戦し続けたい」ということを、信念の1つにしています

以前は、
部活でしていたテニスでどこまで勝ち進めるのか?
会社員として、当時の会社でどこまで出世していけるのか?
に燃えていましたが、独立した今となっては、理論上、青天井な中で、売上や利益をどこまで上げ続けていけるのか?
を追求しています
※もちろん、行き過ぎた売上至上主義や利益至上主義にならないように注意しています

そして、それには終わりがありませんし、自分の中でも「ここまで行ったら引退」というようなラインも設けていません

なので、僕が「どこまで通用するか?」という答えを知るのは自分が死ぬ時になりますし、逆に言うと死ぬまで挑戦し続けたいと思っています

そして、死ぬ時に「我が生涯に一片の悔いなし」と死ねるかは、プロセス次第です

人生100年時代と言われますが、僕の父は60歳で他界しました
なので、僕は60歳までで人生設計をしており、そこから先はボーナスステージだと考えているので、あと24年!

残された時間を大切に、全力で生きていきたいと改めて思いました

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