日本に生まれて〜恵まれた環境にいて、ベストを目指さないのは恥ずべきことかも〜前編

おはようございます!
大地球吾です

今日は、年末ということもあり、自分自身が現在の日本に生まれて思うことを書いていきます

現在の日本に生まれたということについて、いかがでしょうか?

現在の日本を取り巻く状況について、色々な意見はあると思いますが、僕は、とても恵まれていると感じています

これだけ豊かで、治安も良く、保険等の各種制度も整っており、生きるための水準が高い国はそんなに多くはないのではないでしょうか?

僕は、世界の情勢についてあまり明るい方ではありませんが、以前、アジアチャイルドサポートというNPO法人の池間哲郎さんのお話を聞く機会がありました

そこで聞いた内容は、「あなたの夢は何ですか?」と聞いたら「私の夢は、大人になるまで生きることです」と返ってくるような、明日の命の保証すらない、あまりにも壮絶なアジアの方の状況でした

「マンホールチルドレン」と呼ばれる、家がなく、下水の暖かさを求めて下水道で暮らす子どもたち、「スモーキーマウンテン」と呼ばれる、ゴミが積まれ有害物質で充満している山の中から物を拾って生活費を得る子どもたち、ノートやペンを買うお金もなく、授業の内容を一生懸命覚えようと黒板を凝視する子どもたち…

「一生懸命」という言葉がありますが、まさしく「命を懸けて」生きている姿を映像で見て、そのリアルな様を聞き、自分が恥ずかしくなりました

決してダラダラと生きていたつもりはありませんが、彼らに対して胸を張れる生き方をしているのか?と言われたら「Yes」と言い切れない自分がいました

また、「僕らより恵まれた状況にいて、頑張ればもっと良くなる環境にいるのに、なんで一生懸命に生きないの?」や、「そんな環境にいるのに、適当に生きるぐらいだったら代わってくれ」と言われたら何も返す言葉がないなとも思いました

さらに、先日、友人と屋久島に旅行に行く機会があったので、以前から行きたかった知覧の平和記念館に行きました

知覧は、鹿児島の南端にあり、太平洋戦争末期に特攻隊の前線基地となったところです

そこで感じたことは、後編に書いていきます

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