文句と意見の違い

今日、初めて少し職場でイラっとしたことがありました。
その時に『意見』が出そうになりましたが、今の状況で発言したらただの『文句』になると感じ、思いとどまりました。

でも、そもそもなんでそう思ったのか…?
ということを帰りながら考えていたことを忘れないように書き残しておきたいと思います。


そもそも、なにかに対して、「ん?おかしいな」とか
「それは違うでしょ」ということを思って、それを伝えることが意見or文句なわけですが、
どこでこの2つは『意見』というプラスの印象と『文句』というマイナスの印象に分かれるのか?
当然言い方の問題も大いにあると思います。相手を批判するように言ったり、
ただただ怒鳴りちらしたりしたら、伝わるものも伝わらない。ただの文句ですね。

でも、言っていることが同じでも、言う人によって聞こえ方が変わります。
名もなき私が教育に対して「これは違う!!」といったら、なんかあいつ文句言ってんな、、、
となりますが、例えば東大の教授とか、某T進予備校の『今でしょ』って人が同じことを言うと、
なるほどなあ、、、と良い意見に聞こえることもあると思います。


ここまで考えて、要は発言者がどれだけ能力があって、説得力があるかって話だなと思いました。
いくら正しいことを言っても、その人の信用力や能力、コミュニケーション能力がないと、意味がない。
逆に言えば、一度確固たる地位を築いてしまえば、その人の発言力は強くなるし、正しく聞こえる。


なんか当たり前のことを書いているようで、これってなんか不思議ですよね…?
でも、これが社会で生きていく上ではついて回るというのは嫌というほど経験してきました。
つまり、自分が力を蓄えて、結果を出すしかないわけです。

結果の出し方はそれぞれだと思いますが、少なくとも認めてもらえる『なにか』がないと、
発言力は強くなりません。その何かっていうのは人それぞれ違うと思います。
学力かもしれないし、信用力かもしれないし、コミュ力かもしれないし、やさしさかもしれないし。

そんな世の中に生きていることを再確認した今日だったので、
まずは結果を出さないとなにも言えないなと。努力します。ひたむきに、誠実に。


その先に見えてくるモノがあると思うし、その時に出てくる『意見』がまた違ってくるかもしれないし。
少し先に行かないと見えてこないモノってたくさんあって、たぶんすべてが見えることはないと思います。
常に考え続けること、それが人生だなぁ…と悟った風な雰囲気を醸し出して今日は終わりたいと思います。

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