見出し画像

好きなもので自分を語るのは(私には)難しい

好きなものと嫌いなもの。
私は割とはっきりしているタイプです。
特に嫌いなもの。
大変はっきりしています。
好きなものを挙げるより、嫌いなものを挙げる方が容易いと言うと、なんだか私の人間性が疑われそうですが…

ワンピースのルフィも言っていました。
「嫌いなものじゃなくて好きなもので自分を語れよ」と(完全なるうろ覚え)

当時妹が集めていたワンピースを読ませてもらっていて、このセリフのカッコよさに強かに頭を殴られたことを覚えています。
好きなもので自分を語れる方が人として品格が高い、魅力がある、前向きだ。なんかそんな気がする!

でもやっぱり私には嫌いなもので語る方が容易いんだな(ほとばしる根暗感)

例えば若い頃、よく友人たちとこんな質問をし合っていましたが、みなさんも一度は同じこと聞いたり聞かれたりしているはず!
「どんな人が好き?(恋愛的な意味合いで)」
私はこの質問をされるたびにめっちゃ困っていました。

別に特別カッコよくなくていいし、高身長とかも望んでいないし、お金は自分でバリバリ稼いでいるから二の次だし(←このあたりの感覚が元気で恐れを知らない20代!私は今、切実に石油王を求めている)
しいて言えばありきたりだけど優しい人がいいけど、そもそも自分に優しくない恋人や夫って存在価値ある?

そんなこんなで物事に意外とこだわりの少ない私は、どんな人が好きと聞かれると明確なポイントを打ち出せない。
当時頭をフル回転させひねり出したものが
「ずるくない人」
というものであった。
今思い返してみると、こんなに言い得て妙な言葉を見つけた自分をほめてあげたい。私にとって現時点でもこれほどうまく自分の異性の好みを言い表す言葉は他に見当たらない気がする。

私の嫌いなもの。
重くて固くて冷たい素材の服。
静電気。
満員電車。
お腹がすいた状態。
窮屈なこと。
理不尽。
まだまだいくらでもでも語れそうである。

一方好きなことって、人によっては好きゆえの強い拘りがあったりするから意外と注意が必要だったりする。気がする。
国を憂う気持ちで共感し、ひとしきり盛り上がったあと、支持政党が敵対的関係性だったりしたときは地獄である。想像しただけで震える。

あ、理不尽で思い出したが、私の進学した中学高校はパワー系の体育教師が君臨する厳しい掟に支配された監獄学園だった。
ある日の月に一度の服装検査の日、真面目な私の真面目な友人がポニーテールのゴムの色で叱られていた。
わが校の校則では、女子の髪は肩につく長さの場合、黒もしくは紺、または茶色のゴムひもで後ろで一つ結び、もしくはおさげをしなければならなかった。

教師は友人のゴムの色が校則違反だと烈火のごとく怒っていた。
友人が弱弱しく抗議の声を上げる。
「これは紺色です」
「紺色の色が明るすぎるっ!!」

明度!?
明度にまで言及するならどの明るさまで許容するのか生徒手帳に色見本でもつけておけ!

私はそういう理不尽さとかルールのためのルールみたいな、それにどんな意味があるのか説明してみろい!みたいなものが昔も今も大嫌い。

いつも通り話が逸れた。
そうそう、私は今でも確かに「ずるい人」が嫌いだ。
じゃあその反対の「誠実な人」が好きなんじゃないの?
ほら!好きなことで己を語れるよ!とネアカ前向き派の皆様の声が聞こえる、気がする。

ところがどっこい、それがあまりしっくりこないのだ。

当然彼氏や結婚相手は不誠実よりは誠実な人の方がいいのだが、かといって「誠実な人が好きです!」と取り立てて言うほど誠実さに重きをおいているわけでもない。

そもそも人としての最低限の誠実さは備えておいてもらわないと人生は共に歩めないのだが、過剰には要らない。必要最低限でいい。
私は別に聖人君子と清く正しい人生を送りたいわけではないのだ。

結婚相手に求めるものでたびたび挙げられるのが「尊敬できる人」というポイントだ。
もちろん軽蔑するような人と結婚生活は送れないが、私は特段、相手に尊敬できることを求めてはいない。
尊敬できるポイントが一つくらいあればそれで御の字だ。
自分だって他人の尊敬を集めるような出来た人間ではないのだから。


私が恋人や結婚相手に求めるものは「どんな時も絶対的に自分の味方でいてくれる人(自分に多少の落ち度があったとしても)」これかな!
※もちろん自分が犯罪とか悪事に手を染めるようなことをしない前提で。

でもこれ、やっぱり「どんな人が好き?」と聞かれた時の答えにはならない気がする。

やはり未熟な私には「好きなもので自分を語る」のは難しい。
精進精進~!


サポートいただけたら、美味しいドリップコーヒー購入資金とさせていただきます!夫のカツラ資金はもう不要(笑)