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毎朝引っ越しをしています

1日のなかで、私の好きな時間に、朝起きぬけ30分がある。

いつも両親がとっくに仕事に出かけたぐらいに起きるんだけど、リビングへと階段を下りると、大抵真っ暗なまま。まずカーテンを開けて、お湯を沸かす。前日の夕飯や両親が朝ごはんに使ったものが残っていたら洗って片づける。お湯が沸いたら、それをコップに半分注いで水を入れて、即席の白湯(即席の白湯とは?)を飲みながら、一日分のコーヒーをドリップする。

コーヒーがポタポタと落ちているのを横目に、ソファにごろんと横になって、今日は雨だな、とか、天気がいいな、とか思う。


1日を自ら迎えているみたいで、その日一日を過ごす準備の時間でもあって、生活にとても集中している感じが好きだ。引っ越しのときの感覚に似ている。次の家での理想の生活を想像して、家具はこうしよう、とか、これは新しい家にはもっていかない、とか。そういう自分に必要なものを吟味する時間。


この時間が、両親の仕事が休みとか、弟が早起きだとかで時々侵略されることがある。私以外は必ず朝一番にテレビをつけてしまう。そこでは昨日一日起きたこととか、今日の天気とか、勝手に教えてくる。


私はそれがとても嫌で、いわば家を隅々まで掃除しておもてなしのために料理を作ったりお花を飾ったり、何時にお客様が来るね、って予定を確認しているさなかに思ってもない客人が乱入してきたような。あるいは引っ越し準備も整ってないのに、家具やら家電やらが大量に新居に届く感じ。


朝の30分がないとうまく切り替えられないし(テレビがついているだけで調子が狂う)、リセットできない。

今まで意識したことがなかったけれど、外出自粛中にふとそんなことを思った。私にとっての誰にも邪魔されずに昨日から今日へ引っ越す時間は、昨日とは違う今日を生きるための時間なのかもしれない。


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