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ソーシャルワーカーとしての責任と覚悟。
新しい職場にも慣れて担当数も増えてきて暇疲れも無くなってきた今日このこの頃です。
またまた書くのをサボってました。泣
書こうとは思ってPC開いてもなんだか面倒になってダラダラする日々を過ごしてたました。
仕事も寝坊したり、ケアレスミスしたり、、ちょっと緩んできているので締めなおします!
ということで(どういうこと?)、最近なんだか考えることの多い責任と覚悟について書き残します。
というのも今オンラインでグループスーパービジョン(以下GSV)に参加しているのですが、ある方が「責任」についてのテーマを出していて、ちょうど同じタイミングで考えることがありました。
GSVの中ではソーシャルワーカーとしての責任はどこまである(負える)?というような投げかけがありました。
その方は、担当を外れた(施設から地域へ戻った)クライエントの人生にソーシャルワーカーとしてどう関わっていくのか(責任を持てるのか)ということでジレンマを抱えられていました。
個人的には責任を持つというのは自分の行動に対してはありますが、クライエントの人生や選択に、いちソーシャルワーカーとしての私が責任を負えるかは疑問があります。
私の取った行動の社会的責任は私+所属している組織にありますが、いちソーシャルワーカーとしてクライエントに対して責任が負えるのかはまた別の話だと思います。
言うまでもないことですが、クライエントに不利益を与えない、最善の利益を考えることは大前提で、ここでの責任の意味はどこまで責任を負うのかという解釈です。
立場や組織として責任を取る(取れる)ということと個人として責任感を持つということは分けて考える必要があると思います。
私の場合クライエントと関わっていくうえでは、責任より覚悟という言葉を使う方がしっくりときます。
「あなたの選択やそれに伴う結果を共にする覚悟」を持つということは、いちソーシャルワーカーにもできることだと思っています。
でもその覚悟を持つって実際には簡単に出来ることではないですよね。
あと、責任という言葉はとても曖昧でいつでも放棄できるような気もします。
例えば所属している組織としてこれ以上の関わりに責任はとれないという方針なったとき、雇われの身であるソーシャルワーカーはどこまで関わり切れるのでしょうか。
現場の中では、これ以上は責任を負えないという言葉を免罪符に、できないことを肯定する瞬間も少なくありません(ここにソーシャルワーカーとしてのジレンマが生まれるのだと思います)。
だからこそ責任を持てるかどうかよりも覚悟を持てるかどうか、私は自分に投げかけることがあります。
なんの権限もない、実力もまだまだな私には覚悟を持って関わることが責任を果たすということに繋がると信じていますし、責任を果たせる立場になれるようにももっと積み重ねていく必要があります。
ソーシャルワーカーにとって責任と覚悟の存在は一生のテーマのような気がします。
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