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そして野生と理性はデュアルな快楽を完全に得ることができる

暴力を受けることで自我を体から引き離し、より本能的になることで快感に溺れられることを知っている。強い理性は安易には目をつむらない。暴力的状況というスイッチが必要なのだ。

もっとも、そのことさえも理性の奴隷であり、理性が許した人に限る。
それは当たり前のことだったが、Mだと申告しただけで私の性的対象になると勘違いする自称Sは溜飲ものだ。
まず性的対象になるという初期の関門、倍率の一番高い関門をいつ突破したのだろう。
図々しさには反吐が出てしまう。

いつだって私の一番の支配者は理性であり、性に溺れることすら理性の許しを獲なければ楽しむことはできないのだ。

だから私にとってぶって欲しい、心身共に攻撃して欲しいというのは、予め手綱を緩めた理性を吹き飛ばして欲しいというだけのことで、何ら変質的なことではなかった。むしろ、そういったスイッチなしに、スムーズに性的になれる所謂ノーマルの人たちのほうが変態的に思える。

私はMであり、それと同時に私の理性以外の誰にも支配されないし、何物にも支配されない。

また逆に、男性が目の前で性的欲求に支配され、暴力的欲求に支配されてしまっている憐れさに、私の理性は支配欲求を満たす。
そして野生と理性はデュアルな快楽を完全に得ることができる。

2011 年 9 月 9 日 [Edit] -kassy_jpn ブログ

だ、そうですよ。なかなかキレキレですね。2011年9月の私…。


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