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独立までの経緯の話

今回は,教材編集者のキャリアをスタートさせてから,独立までの経緯について書いていきます。

岡山で独立した先輩たちとの差を実感

以前書いたように,私の教材編集者のキャリアをスタートさせたのは,岡山の編集部でした。執筆と校正(+校閲)は先生などの外部協力者に依頼していましたが,編集の仕事はほぼ社内で行っていました。

それでも編集部から外部に編集作業を依頼するケースがありました。この場合,外注先はたいてい独立した元社員の先輩たちでした。先輩たちは能力に自信があって独立するのですから,当時ペーペーの教材編集者だった私からは,比べようもないくらい能力の高い人たちに見えたものです。

もし独立するのなら,仕事を依頼していた元社員の先輩たちと同じくらいの能力を身につけなければムリと考えていました。

東京で編プロと仕事をして独立を意識

数年後,東京の編集部に転勤になりました。岡山と違って東京の編集部では,編集プロダクション(編プロ)に仕事を外注するケースがよくありました。転勤直後で担当教材がなかった私は,紙教材優先で人手が足りなかった中学理科のネットコンテンツ制作を急きょ引き継ぎました。制作量が膨大なこともあり,前任者は原稿執筆と編集を編プロに外注していました。

この外注先の編プロは仕事がいい加減でした。スケジュールは守らない,作成した原稿は既存の教材のコピーに赤ペンで数値を書き換えただけ,初校戻に書かれた修正指示は判読不能など,仕事を任せられるレベルに全然達していないという印象でした。最終的に編プロから仕事を引き上げ,私がすべて編集作業を行って校了しました。

岡山時代は自分が独立するなど考えもしなかったですが,東京でこの編プロと仕事していくうちに,この程度の能力の人たちでも独立できるのだったら自分も十分に独立できる,と思ったのでした。初めて独立を意識したときでした。

プロ講師の方々と仕事をして独立を決意

その後,小中教材の仕事はしないと決心して退職し,現役予備校に転職して教材編集と講座企画の仕事をしました。

予備校では,授業で使うテキストの制作のために先生方とよく編集会議を行っていました。先生方は,ほぼ全員が1年契約のプロ講師です。私よりも年下の先生が何人もいましたが,年齢に関係なく先生方はプロ意識がとても高く,一緒に仕事をしていてものすごく影響を受けました。

そもそも会社勤めが向いていないと思っていたこともあり,先生方と同じように自分の能力でお金を稼ごうと決心して,独立したのでした。

独立の時期を決めた理由

私は33歳のときの春に独立しました。これには理由があります。当時,前年度から1学年ずつ高校の新課程が始まり,2年後からは新課程入試が行われる時期でした。この年の後半から翌年にかけて版元(出版社など)では,新課程入試に備えて大学受験教材をリニューアルするはずですから,独立しても十分に仕事にありつけるだろうと考えたのでした。

また,当時は35歳転職限界説というのがありました。これは,35歳を超えると転職が難しくなるというものです。ということは,もし独立して失敗したとしても,35歳までなら会社員に戻れるはずです。チャレンジするならこのタイミングしかないと考えたのでした。

すぐに会社を設立した理由

一般的には,独立後,ある程度の売上が見込めるようになってから会社組織にしたほうが節税効果が高いらしく,このようなタイミングで会社を設立する人が多いそうです。

しかし,私の場合,すぐに会社を設立しました。というのも,
「自分の会社を立ち上げる!」
と宣言して予備校を退職したので,会社を設立しないわけにはいかなかったからです。売上や税金などを一切考えることなく,とにかく会社を立ち上げたのでした。

また,先に独立していた岡山時代の先輩から,会社組織としか取引しない版元があると聞いていたのも,理由のひとつです。インボイスに関して,税金などについて検討することなく弊社が適格請求書発行事業者を選択したのは,同じ理由です。能力以外の理由で仕事が受注できなくなるがイヤだったのでした。

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