見出し画像

ことばの向こうのいろんな顔

少し混乱している。
長年SNSをヲチしているのだから。当の昔にわかっていたことだけど。今頃になって混乱している自分に困惑している。

ことばって結構怖い。
その人の主張のほんの一部だけが切り取られた短文が、ひとり歩きして。
本人の知らぬ場所で、化学反応が起きる。

その人のひととなりに想像を巡らせれば。
イヤ、その人の書込みの一部を眺めるだけでも。視点を変えて読み直すだけでも。気が付きそうなことさえスルーして。過剰に批判したり、過剰に評価したり。

単に、読解力か想像力の問題だと思っていたけれど。
それがマスコミの所業となると。
故意のミスリードではないかと、疑いたくなる。

ひとはみんないろいろな面を持っていて。
良いところも悪いところも、長所も短所も、ある意味裏返し。
一見、順風満帆に思える人でも、何も考えていないように見える人でも、悩んでいることはあるし。逆に、深く考えているように見えても、意外と何も考えてないこともある。

一方ですごく優しさを持ちながら、一方で残酷なことができてしまうのも人間。
少数派も多数派も、弱者も強者も。右も左も。上も下も。常に正しいというわけではないし。常に間違っているなんてこともない。

大好きなひとが、いつも正しいわけじゃなく。
大嫌いなひとも、いつも間違ってるわけじゃない。
権力者が常に正しいとは思わないけど。全て間違っているわけでもない。
犯罪者は何か過ちを犯したわけだけど。その人の全てが過ちではない。

そもそも文化や時代が変われば、価値観も変わるのだから。どれが正しいかどれが間違っているかなど、誰も決められないのだけれど。

ラベリングとかカテゴライズとか、勝手に名前をつけて分類することで、わかった気分にはなるけれど。その人のその人らしさからは、どんどん遠ざかっていくばかり。

ひとはみんな違うから。
誰かの全てを理解することなどできない。
目の前のあなたは、わたしというフィルタを通した、ほんの断面の存在だけど。
知れないから愛しいし、知りたいと思う。

勝手につくったイメージが、壊れたからって。失望しなくてもいい。
攻撃する必要なんて、もっとない。

批判や評価の言葉さえも、ことばの主のほんの一側面に過ぎず、時には一瞬の気の迷いの放出や、心にもないうらはらなことすらあるのだけれど。

受け手にとって、それは遥かに深く重く、手の中に残る言葉は、簡単には消えないまま、永遠に繰り返されるから。
ことばって難しい。

見つけた言葉に何か意味を見出すのも、言葉の持つ響きに刺を感じて、惑っているのも、自分のフィルタの所為なのだろうか。

数多のことばの向こうの人のいろいろな顔は、どれもやさしく、時に残酷で、正しさも間違いも包括した、人間という存在の深淵を覗きこんだような気分になる。

深淵を覗き込む時、深淵もまたこちらを覗いているのだけれど。

気まぐれに更新しています。