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「かなわね」を手に取ってくださる先生へ。

美沙はとにかく漢字が書けない読めない。そんな子どもでした。

それ以前にも色が認識できなかったり、数字の6が書けなかったり。

おそらく幼稚園の頃から先生からの一斉指示はスムーズには入っていなかったと思います。

そこは大学生になった今でも変わらず、自分の専攻している絵の実技以外の、どうしても単位を取らなければならない歴史やコンピューターのプログラミングには非常に苦労していますが、現在大学4年生となりようやく存分に絵だけと向き合える日々となりました。(令和4年12月現在)

だけど、そんな日常なので、自分ってどうしてこうなんだろう・・・

そんな葛藤を繰り返しつつ、そんな自分の中で言葉にできないものをこのような絵で表現している気がします。

この「かなわね」、私が一番最初の下絵の段階で「これはかな『は』ね、じゃないの?」と聞いたら、即答で「ちがうよ!」という返事。

絵本の帯にも書いてある通り、小学校の頃に「は」と「わ」の区別がつけられなかった、美沙にとってはそれが当たり前の世界を描いていたということを知り、私はそこで胸がいっぱいになってしまいました。

私自身、まさかあの小さくて幼い美沙が当時こんなにもはっきりとした世界を見ていたなんてこれっぽっちも思っていなかったという事実に愕然としました。

だから、いろんな先生方にこの世界を知ってほしいと思い、この絵本をきちんと製本しようという思いで自費出版させたものです。

・・・だけど、教室で困っている=それがその子にとっての当たり前の世界を見ているのは美沙だけではないということも知りました。

また、親である私の美沙を「理解してほしい」という認識と、学校側の美沙を「理解している」という認識が大きく違っていたことも今になって分かりました。

また、そんなところから本当に困っている子が教室で孤立しないためには「先生」と「その教室にかかわっているすべての子どもの保護者」が同じ「大人」という立場で教育・共育・協育していくことなんじゃないかなぁとも思っています。

そのためにぜひこの絵本を子どもたちにはもちろん、大人たちでいろいろな形で活用していただけたら何よりだと思っています。

そして、どうか美沙が持っている世界を先生方の感覚で存分に感じてみてください。小2の頃にやった国語のテストは100点中10点だったという子の可能性にこんな世界もあるということを知っていただけたらと思います。

でもこれは、美沙がこういうものを抱えているからできるのではなく、美沙自身が生まれながらにして持っていた感覚を自分自身の言葉(自分はまわりの子ができることができないなど)でつぶすことなく伸ばし続けた結果だと思っています。

だからこそ、耳にする診断名というものにとらわれず、その子はその子の持って産まれた感覚で生きていること。またそれを感じている先生自身も何ら変わらずにご自分の持って産まれたその感覚を生きているということを感じてみていただけたらと思うのです。

そこにはたとえ立場が子どもと先生であろうと、どちらがいいとか悪いとか、どちらが優れているとか劣っているとかそんな判断基準は一切ないということなのです。

美沙は教室という場所が、美沙が持っている特性ゆえに時に苦しかったけれど、そんな場所があったからこそ、自分が大切にするべきものが何なのかを
その同じ特性から伝えてくれている気がします。

それは苦しいだけではなかったことも伝えてくれています。

教室という場所で先生や友達、たくさんの人にこれまで支えられてここまで育ちました。

発達障害と呼ばれるものを持った子にはそれを持っているからこその理由があると同時に、その子を見る大人側にもそう見てしまう理由があります。

それをひとりひとりの先生が、改めてそれがどういう意味なのか、感じてみていただけると嬉しいです。

またこのような特技を表現することは、特別な才能と言われるけれど、
それは神様から与えられたギフトではあるけれど、決して診断名から与えられたギフトではないとお伝えさせていただきます。

時に我が家のこんなストーリーを聞くと「それはレアだよ。普通はそうはいかないよ」というお声がけもいただいたりするのですが、そもそもその普通ってなんでしょうか。

美沙自身は自分自身と対峙して自分自身の障害を言い訳にすることもなく、時に落ちながらも日々自分と対話している。

それは学校という場所がなかったらできなかったことだと思っています。

それができる学校ってすごい場所なんだと思うのです。

また、美沙のおしゃべりは時々何を言ってるのかわからないと言われるけれど、美沙が描く絵は、いろいろな人にいろいろな言葉を表現させます。

巻末に載せているクジャク、タイトルは「個性」。

それを見た子どもたちから感想をいただいた中で「自分は〇〇〇〇が得意だし、好きだけれど、みんなより忘れ物が多かったり、いろいろなことにすぐ飽きてやめてしまったりして、自分でもダメだなとか思ったりして、落ち込むときとかあったけど、個性という作品を見ていいところもわるいところも個性だし、悪いところもこれから直していこうと、前向きに考えられるようになりました」とありました。

子ども自身がこの時期に自分というものを客観的に見ることがとても大事だなと、美沙自身が自分でいろいろと自己受容していった過程を見ていて感じていました。

その子自身が感じている自分自身の欠けていると思う部分を見て、決してそれがダメな部分ではない、それは今自分が見えている一部分でしかないということを学校のすべての先生がその子に寄り添って伝えてもらえたら嬉しいなと思います。

子どもたちに美沙のいろんな絵を見せていただけたらと思います。(Instagram:@misa_0733)


さいごに・・・教室という場所は教育をする場所であり、今日を生きる場=今日生く。

いろんな彩りを持った子どもと先生が日々の営みを織りなす場。

そこにはいろんな可能性が秘められています。

ぜひ私もいろんな先生方とこの絵本「かなわね」を通した対話がしてみたいと思っています。

よろしくお願いいたします。

そして今現在(令和5年4月より)の美沙は学生時代のアルバイトから
本職になったある絵画教室の先生になっています。
よかったらこちらの動画をご覧ください。

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