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「普通」と言う視点から見てみると。

うちの子みんなと違う。
どうしたら「普通」になるんだろう。

と、悩んだけども。

そもそも「普通」ってものは普遍的な言葉で、そもそも「普通」ってものは10人いたら10通りの多彩な世界。

そもそも、目の前の我が子の枠が我が子にとっての「普通」という枠で、親の私の思う「普通」と違うっていうそんな話だったな。

だからこの子を育てていく中でやってきたことって、私の思う「普通」の世界を緩やかに時にどぎつくいろんな方向から見てきたことだし、「えー、大丈夫だよ」って誰に言われても納得いかない、私にしか見えなかった「普通」という世界だったんだな。

ええ。
なかなかの頑固さ持ってたし。

でもその頑固さの大元は、お母さんになったから、じゃなく、小さい頃からの私が娘のお母さんになったから。

いろんな人生見てきたからこその頑固さだったから。

ほんとね。どうしたらとか、なんでとかいろんな方向見させられたけど目の前で繰り広げられてるのはあくまでも我が子の「普通」だったと言うことだったな。

「普通」=持って生まれた元々の世界。

だからこそ、結局私の中の「普通」との闘いだったかも

でも「普通」なんてこと、我が子が「普通」じゃない世界にいるからこそ一生懸命考えられたこと、一生懸命意識できたことなのかもな。

そうだよね。
私がそれを「普通」って思っていたら、そんな葛藤なんて起こらなかったからね。

何にも考えることなく、え?それって普通じゃないの?なんて、目の前のあの日の葛藤してる私に言ってただろうな。

当たり前ってなんだろうかと、そんなこともたくさん見た気がするからこそ。

どの親も、そこにハンデがあろうとなかろうと必ずそこは見てるんだろうなと思うからこそみんなみんなそれ表現したらいいのになって思ったりする。

人が育っていくってそれだけ多彩な世界なんだよ。

我が子は何か問題があると思う人の方が多いのは、自分の「普通」「当たり前」に縛られてるそんなカラクリがあったりするしそこをブレークスルーするだけで世界の見え方はガラッと変わるよ。

でもそれは、自分でしかできない。

そして我が子だからそれをできるってことなんだよ。

その先を諦めない。我が子の、ではなく、まずは自分が見てる視点の先を。





シワってこんなに精密に描けるものなのね笑

それが美沙にとっては「普通」で「当たり前」の世界だったわけ。

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