Day 5

あれから5日。
今日は土曜日だ。外は荒れ、雷鳴が轟き、なんとも梅雨らしい湿気が辺りに充満している。


きっと妻と子供たちは外に遊びにも行けず室内で有り余る元気のぶつけようのなさに苛立っているだろう。


その家族の一員として一緒にいれないことへの虚しさと無力さに今日も苛まれている。






果たして自分は変わることができるのどろうかと思う。

昨日の仕事終わりに考え込んでいて、どうしようもない矛盾に気づく。


なぜ人は浮気をしてしまうのか。


なぜ人は過ちを繰り返してしまうのか。




よく成功者は言う。

  • ぼくはキャリアを通じて9000回以上のシュートをはずした。300回近い試合に負けた。勝敗を決するシュートを託され、失敗したことは26回ある。人生で何度も、何度も、何度も失敗を重ねてきた。だから成功できたんだ。              ~マイケル・ジョーダン~

  • 人間は神ではない。誤りをするところに人間味がある。                ~山本五十六~

  • 失敗のない人間は面白くない。 ~小泉純一郎~


ではなぜ人は成功を求め失敗にあらがうのか。


それはきっと未知なる好奇心が故だろう。


ではこう言いかえることはできないか。
好奇心なき人間に成長はない。


決して自分を肯定しようとしているわけではない。



しかし、なぜ浮気をしてしまったかと言われると、この結論にしか行きつかないのだ。


だが、ここで矛盾が生じる。


ではまだ見たことない景色や、まだ体験したことない行動を全部が全部やってみたいと思うか?


答えはNoだろう。


極端な例かもしれないが、自分が経験したことないからと言って、その辺に歩いてる人や生きている動物を刺し殺してみたいと思うか?


それは心から"やってみたくない"し、"やりたくない"と言える。


誰かを裏切ったりもしないのにも関わらず、好奇心は起きないのだ。


では、なぜ浮気はやってしまったのか。


大切な人を裏切ることになってしまうのに。



熟考の末たどり着いた結論は、、




恐らく失敗してもどうにかなると思っている自分がどこかに存在しているのだろう。




僕は、全ての失敗に対して、それほど恐れていなかった。


なぜか、


それは先ほど偉人たちが言っているように、失敗しなければ大きな成功は掴めないと勘違いしていたからだ。



失敗して当たり前、



次成功するように考えよう。



そうやって何度も試行錯誤できるプロセスそのものが、楽しく自分を成長させ、快楽さえも覚えていたのかもしれない。



あなたは失敗が好きですか?



僕は大好きでした。



失敗しなければ見えてこない景色があり、成長がそこにあると思っていたから。




でもこの思考回路こそが、僕をクソみたいな人間にしてしまったのだと感じたのでした。




本来、失敗は極度に恐れなければならないものだ。
好奇心のあるものに対し、それを成功に導きたいのであれば、

それに挑戦するまで何度もイメージし、シミュレーションを重ね、


成功と失敗のリスクを天秤にかけたうえで、熟考し決断しなければならない。






僕は失敗しすぎたガラクタだった。



何事にも勇気を持って、挑戦することは大事だろう。



それが貴重な経験になることもある。



だが、挑戦しすぎると、失敗がクセになる。



すると何事に対しても雑になる。



別にどうでもいいことには雑になってもいいだろう。



しかし、大切なものや人に対しても雑になってしまうのだ。



いや、雑になるというか、丁寧に向き合うことができなくなる。



潜在的に"失敗してもどうにかなる"と思ってしまうからだ。




その困難に対応し、乗り越えた時の自分も好きだ と思ってしまうからだ。







歯止めが利かなくなった、ガラクタ