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無意味な創作

イラストだろうと漫画だろうと、小説だろうと音楽だろうと、何かを創るという行為には何かしらの意味がある。なので、本当に“無意味な創作”など存在しない。

だが、それは過程の話であって、結果の話ではない。

そもそも、創作活動をする意味とはなんだろうか?

  • 純粋に創ることが楽しいから。

  • 誰かに見てもらって、承認してほしいから。

  • プロになりたいから。

ざっと上げるとこんなものだろうか。

創ることが楽しいから、というのは原初の創作欲で、幼子が何にも囚われず、根源的に耽る児戯の欲求だ。
ある意味では一番正しく、皆がそうあればいいと願う動機だが……実際は少数派だろう。小学生くらいまでならば、ゲームをするのと同じ感覚で、ただ楽しいからやる、という動機もあっただろうが、続けていれば承認欲求が芽生える。
母親に見せていた絵を、今度はインターネッツに晒すようになり、顔も知らない大多数からの承認に飢え始める。

三番目の「プロになりたい」という意味付けも、元を辿れば承認欲求から端を発するものだ。お金が欲しいなら、クリエイターになるよりも普通に働いた方が大抵は効率がいい。それでも創作者としてのプロを目指すのは、“創作者である自分”というのを認められたいからだ。

つまり、創作活動の意味とは、極論“承認欲求を満たすこと”なのである。
ヘンリー・ダーガー氏のような例もあるが、かなり特殊な例である。

では逆に、無意味な創作活動とは?
それは承認欲求を満たせない創作活動である。

素人が作品を上げられる場というのはネット上に沢山ある。クリエイターでありたいと望む者たちは、皆競うように作品を上げ、評価を欲する。自分が人気だと思われるために他の創作者と馴れ合って、好きでもない作品にイイネして、工作活動も必死にやる。

インターネッツをちらっと覗けば分かることだが、絵に限ってもうまい人間は無数に存在する。「クラスで一番絵がうまい」程度のレベルじゃお話にならない。

たとえ絵が抜群にうまくても、そこに作家性なり話題性なり、当人のキャラクターや知名度がなければ注目されない。

創作活動をして承認欲求を得るのは並大抵のことじゃない。

ならば当然、誰からも見向きされない者も存在する。

そういった者達は、「いつかみのれば」という気持ちで創作を続けていたとして、それが叶うことがあるのだろうか?

もしも創作者同士のコミュニティに属していて満たされないなら、理想が自分の実力と見合ってないことになるし、孤独に創作活動をし続けていて芽が出ないなら、そもそも才能があるかどうかも分からぬまま埋もれるだろう。

そういった創作者は、所謂ワナビと称されるが、最終的には殆ど創作活動を辞めてしまう。心の内ではまだ承認されたい、特別になりたいという想いが燻っていても、どうせ無駄だからと筆を折る。

誰にも見られない。
誰にも評価されない。
お金にもならない。

そんな創作活動に何の意味があるのだろうか?
それでも作品を作り続けろというのは酷ではないだろうか?

創作活動の意味を自分以外に委ねた時点で、それが叶わない創作は全て“無意味な創作”という結果になる。

無意味なものを無意味なまま続けられた者が、その“いつか”を掴み、意味を与えられるのかもしれないが、時間は無限じゃない。

人には生活があり、可処分時間はそう多くない。
無意味な創作に割くリソースは残ってないのである。

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