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私は虐待サバイバーだったらしい

訳あって四年ほど前から精神科、及びカウンセリングにかかっている。二年前にとある事情で担当のカウンセラーが変わり、今の担当も三月いっぱいで辞めるそうだ。
カウンセラーが辞めるにあたって、病院から私へではなく両親へ連絡が入った。私が電話に出られなかったからだ。そして、電話に出た父から私へ連絡が入った。そこで伝言ゲーム的に話がこじれ、父が爆発し、カウンセラーに私の父が虐待気質であることがバレた。

カウンセラーは「ごめんね。早く気づけばよかった」とひどく後悔していた。彼の退職までに私が受けるカウンセリングはあと一回のみだ。
カウンセラーが気づかなかったのは無理もない。私が隠していたからだ。
私は自分や家族のことを喋るのがあまり好きではない。理由はない。あまり好きではないだけだ。誰かの利益になること、誰かを楽しませることしか喋りたくない。逆にいうと、それらは他人にとって無益で楽しくないエピソードだと無意識のうちに判断していたようだ。

父はアンガーマネジメントがものすごく下手だ。小心者で、すぐに焦り、弱いところを突かれると、攻撃された!!とパニックになる。そして、相手が顧客だろうが子どもだろうが構わず怒鳴り散らす。「目の色が変わる」という表現があるが、そういう時の父はまさに目の色が変わる。真っ平らに塗りつぶされて爛々と光った目になる。身体中から怒気が立ち登るのが見える。
本当に珍しく家族でドライブに出掛けて、父は道に迷った。くたびれた私は「まだ着かないの?」と聞いた。私は張り倒された。その一時間後くらいに「仲直りをしよう」と握手を求められた。
父がやっている店の中を歩いていると、父に思い切り突き飛ばされて棚にぶつかった。それを見ていたお客さんの怯えた目を忘れられない。
ふざけて「死にたい」と言ったら「じゃあ殺してやる」と首を思い切り締められた。母が叫んで止めに入った。
私の卒園アルバムの親からひとことコーナーに、父は「ときどきお父さんを怒らせることもあるけれど(以下、ひょうきんで元気な子です的なことが書いてあったはず)」と書いていた。

父の暴力、暴言は不規則なタイミングでやってきた。しかも、殴るときはだいたい一発か二発、怒鳴るときは長くても一分未満で、それが済むとプイっとどこかへ消える。
おそらく父自身も「これ以上はまずい(虐待だ)」と感じて、クールダウンのためにその場を離れていたのだろう。その場とは「自分を刺激する場」だ。

父が卒園アルバムに「怒らせる」と受け身で書いていたとおり、どうやら父は被害者の立場にいるようだ。周囲が俺を怒らせる、焦らせる、だからこうなってしまった。自分は十分コントロールしようとしている。だが、殴ったのが一発であろうと、怒鳴ったのがワンフレーズであろうと、言動に現れてしまっては、アンガーマネジメントが出来ているとは言えないだろう。

父親からそういった不規則な対応を受けていた私の場合「父はこういう人なんだ」と思うことで、うまくやっていた。
うまくいかなくなったのは、心身の調子を崩してからだ。それなりに心身共に健康だった頃は、そういう不発弾のような父、暴力的な方への言動アクセルが振り切れた祖母(父もまたこの人に育てられたサバイバーだ)、父と祖母を「そういうもの」として諦めている母、知的障害のある妹と、もう一人のかなり歳の離れた妹の間で、私は全員の顔色を伺って立ち回っていた。
それが普通だと思っていた。
だが、心身のバランスを崩してからしばらくのち、私はいま経済的に豊かではないにも関わらず、また、実家からほど近いにも関わらず一人暮らしをしている。一人暮らしをしようと思ったきっかけは思い出せない。漠然と「もう無理だ」「もう良いだろう」と思ったような気もする。

カウンセラーに「あなたのような人をサバイバーと言う」と言われて、今でも「本当にそうだろうか?」と思う。
父はそういう人だが、基本的に真面目だし映画の趣味も合うし冗談が好きだ。長い時間喋るといつ地雷を踏むか本当に分からないので五分以上喋ったことはないし、価値観の相違で爆発されても困るので真剣な相談とかはできないが。
あと両親は私の幼少期に二百万ほどかけて歯列矯正をしてくれたし、休職中は諸々のお金を払ってくれたし、車を買ってくれた……のは祖母だったか。
……お金絡みのことでしか親の良いところを思い出せないのもどうかと思うが、本当にこれらはありがたい。私も子供を持つことがあったら歯列矯正にはお金を惜しまない。私の子供に生まれたら、まず間違いなく出っ歯だ(しかも私は下の乳歯が二列横隊していた)。

カウンセラーに「安心できる場所ってありますか?(ありましたか?」と聞かれて動揺した。
「ありません」
という返事が浮かんだが、あまりにも被害者ヅラっぽくないか?だが実際、私にとってこの世で安心できる場所は無い。
「ああ今安心してるなって思うことは?」
これも、無い。
「人間ってそんなに簡単に安心できるものなんですか?安心って、どういうものなんですか?」
と聞くと、カウンセラーは明らかに困っていた。そして何度も、
「早く気づけばよかった」
と言っていた。

自分が虐待サバイバーだったとして、今すぐに出来ることは何もない。もちろん過去に戻ることはできない。だから、幸せな未来を作るしかない。担当の精神科医には「パートナーさんを第一に考えて。次に母親。父親を変えるのはほぼ不可能です」とサバサバ言われた。
ただ、今の私は未来を向くほどの推進力もない。「幸せ」「安心」を体感した土台が無いからなのかもしれない。
休職するほど心身の健康を害した時点で、生きていきためのエネルギー貯金をいったん使い果たしてしまった。
毎日のように頭に浮かぶ「ここからどうやって生きていこう」という問い。これを考えたときに「自分が安心して頼れる人間、もしくは言葉を選ばずに喋ることができる人間って無いんだな」ということを思い出す。というか、みんなそういう環境で生きていないんだろうか?

自分は本当に虐待サバイバーなんだろうか?
虐待サバイバーで心身に何らかの疾患を持っている人は、何を頼りに明日を待つのだろう?

それが気になって仕方がない。

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