御堂狂四郎、北へ
パスポートで受付を切り開き、難攻不落の身体検査を潜り抜け、命からがら13番ゲートに辿り着いた御堂狂四郎。ようやく北行き便の飛行機に搭乗した。
エコノミークラスに座って、一息。人造人間さながらの黒髪スチュワーデスが繰り広げる、飛行機が墜落した際のレクチャーも上の空、機内食もそっちのけ、御堂狂四郎はアイマスクの下で北への旅に思いを馳せていた。
御堂は北が好きだった。まさに寒くて幻の世界。グーグルマップが地球を解剖した今、この地上に残されている秘境といえば、人間に備わる神経の樹海と、マントルが鎮座する地の底、そして北の国だけだったからだ。
御堂は子どもの頃から思っていた。なぜ夏は暑いのだろう。寒いのが好きな自分が、なぜこんな暑い場所に居るのだろう。僕は間違っている。北は空気が冷たいらしい、ならばいつかは北へ。そう思いながら大人になった。修学旅行で出かけた北海道も寒かったが、所詮は方角的な北。アイヌの血は大自然から芽吹いた青い炎だし、そもそも町は観光客が貪り食う蟹鍋と味噌ラーメンの湯気で確実に温暖化していた。それに、人々はネオンに照らされながら幸福そうに塩辛を舐め酒を飲んでいる。ステーションも暖房ありき、移動はバスときた。こんな物は本当の寒さではない。御堂にとって寒さとはもっと氷点下、泥啜る飢えと貧乏、星屑の光に裸足の迷走、世界から零れ落ちたかのような精神的孤独が欠かせないのだ。
…
物語の始まりは数年前に遡る。御堂当時19歳。訳あって左官屋の坊主になった御堂は、親方に無理やり連れて行かれたキャバクラで、自称愛国者のキャバ嬢・サクヤと話した事が始まり。
男達にオモチャ代わりにされ、大量のスピリタスを飲んだサクヤは御堂にこう言った。自分は昔、シンナー中毒だった上に、無免で原付乗るわ釘バットで親殴るわの途轍もない無頼者だった。やった男は数え切れないし、堕したガキも両手じゃ足りない。今はこうして四人の子どもを養う為にマクラ営業をも容易くこなす立派な無頼者に成長したから良いものの、一歩間違えば病院暮らしだったと。こうした内容の話を数時間した上、それを証明すると声高らかに宣言。自分の陰毛と尿を振りかけたピンクパールのシャンパンを、オリジナルカクテル・桃色アワビとワカメの恋ですなどと言って男共に振る舞い、バカ笑いしたかと思えば泣き出し、切跡まみれの手首を自慢げに晒す。涙で化粧がドロドロと流れ落ち、赤い顔が覗くその顔面は、まるで熱線に焼かれたコケシだった。
まだ世間を知らなかった御堂は、世の中にはこんな悍ましい光景があるんだなと驚いた。同僚はみんなサクヤの飼っていたクラミジアと毛ジラミを飲んでラリったようになってしまったので、仕方なく御堂はサシでサクヤの話を聞いていた。
サクヤは自分を大変な愛国者だと言った。アメリカと韓国と中国と左翼と在日外国人を憎悪していると言った。原爆と戦争を憎み、満州と朝鮮出兵と征夷大将軍マニアだと言った。ヤスクニの亡霊のファンで、慰安婦をヤリマンだと罵り、皇族の人が死ねと言うなら喜んで死ぬと言い、人間魚雷と神風特攻を発明した日本はマジ最強と宣い、パチンコ屋を営む強欲な朝鮮人は永住権の代わりに全台設定6を義務化しろと言い、私は野菜とアイスしか食べないので肉を食べたりペットを棄てる人は許さないと言い、脱税者とホームレスとニートは四肢と臓器のストックにしろと言い、富裕層は寄付しろと叫び、この愛国者の私と全国のシンママに1億円くれない理由が分からないと嘆き、男は金と言ったかと思うと恋愛は純愛派だと言い、自分の子ども達が一番可愛いのを理解しないPTAのクソババアと白痴教師を八つ裂きにしたいと叫び、金持ちになりたいなりたいと呪文を唱え、エイズの人に1億円くれない理由が分からないと言い、子育ての大変さを知らないくせに生きるなと言った。
御堂は、こんな怖い女の人はかつて見た事がないと思って震え上がった。なぜなら、話の始まりが愛国心についてなのに、終わりは世の中への不満になっている。それを般若のような顔で大真面目に話す様子が狂気じみていたからだ。御堂が怯えている事に気づいたサクヤは、突然ひどく動揺しては汗をドッと流し、慌てて何かの錠剤をウイスキーの水割りで流し込んだ。それで不自然な落ち着きを取り戻したかと思うと、突然、北について語り出した。
その話は、先ほどまでのひどい内容とは打って変わって、言葉では言い表せない神秘性を帯びていた。御堂はその雰囲気に飲まれ、いつしかサクヤの話に夢中になっていた。まるで悪魔に取り憑かれた老婆の話す昔話。同じ人間がこうも一瞬で変化するとは、薬とは凄い物なんだなと思った。
サクヤの話はこんな内容だった。
北のある地域の荒廃した大地には直径50メートルぐらいの穴が無数に有って、その穴一つ一つに直径49.9メートルぐらいの金色をした巨大ウナギが一匹ずつ住んでいるの。ウナギは北の神様の化身と言われていて、他国の人々が北に脅威をもたらした時、または北が他の国に脅威をもたらしたい時、怒りと歓喜が渦巻く弥勒の渦から飛び出して、世界中にビームを吐きに行くのよ。そのビームを浴びたら最後、人間なんか一瞬で粉微塵になるわ。それに、ウナギは滅ぼした土地にまた穴を掘って卵を産む。北の神様はウナギを使って、地球を、いや宇宙をも我が物にしようとしているのよ!そのテリトリーを全土に拡げようとしているのよ!ああ、恐ろしい!薬!薬!
サクヤは段々とヒートアップし、錠剤をバキバキと噛み砕くと、続けた。
だから!今こそ男達をみんなサイボーグ化すべきなのよ!なぜ分からないの!グズ!アホ!政府!ゲホッゲホッ!私みたいな哀れな国民を、なぜ守ろうとしないの!私、ただリュウスケが好きなだけだったのに…!あいつは私を捨てたのよ、病気持ちだからって!能無しのくせに!全国の不良と族を一網打尽にしてサイボーグの軍隊を作るべきなのよ、それしかないじゃない!どんな攻撃にも耐えられる兵士を作って、北でも東でも西でも南でも、かかってこいって感じで良いじゃない!分からない連中だねぇ!アハハハ!オエッ!原爆には原爆で対抗しなきゃ!ね、やられたらやり返しゃ良いんだよ。私、かわいそうでしょ?抱いてくれる?え?イヤ?つまんない男、お前。本当のところ、私は日本を愛してるの。ほら、育んでくれた故郷への愛情ってやつ?お父さんとお母さんにも感謝してるの、こんな私を産んでくれて…。あのハゲ、バットで頭をかち割ってやったけど、ママがパパに貰ったっていう結婚記念のハンカチをバタフライナイフで切り刻んでやったけど、あれも親子のコミュニケーションだから…。お小遣いも盗んだし、そのお金でクラブで朝まで踊って遊んで、牛丼食って、ラブブースターを買って、名前も忘れた彼氏に貢いだけど、家族は愛してる。あと、お金も愛してる。ありがとう、パパママ。あの世で見守っててくれてるのよね。バカよね、だからタトゥー入れたの。これは私の誓い、ほらね。愛。この文字が私なの。私は愛に生きる。これっぽっちも遺産を残さなかった酷い親だけど、私は許してるの。ほんと貧乏で能無しの親!一人で生きていけるもの。うえええ…えーんえーん。寂しいよ…。
御堂はまた元の状態に戻っていくサクヤがつまらなかったので、錠剤を飲むように勧めた。サクヤは、なぜかありがとうと御堂に礼を言うと、めそめそ泣き出してまた錠剤を飲んだ。すると、また落ち着きを取り戻して話を続けた。
そういうわけで、金のウナギはどんどん増えていくの。分かる?北はそういう伝説の地なのよ。他にもあるわ。例えば、北の国には鉄の不死鳥がいるの。その不死鳥は他の国に飛んでいって、誰かを連れて帰ってくるのよ。その鳥に選ばれて北に行くと、北の神様に愛される。すると加護を受けて、ライセンスが無くても教師になれるのよ。それと、北の神様は大勢の弟子を持っていて、彼らは隠密な宣教師と呼ばれる影の集団で、他の国の人を強引に北へ連れていくらしいの。それは自分達の国を賢くするための手段らしいんだけど、不思議よね。だって、ウナギは他国を滅ぼすのに、他国の人は連れて帰ってくるんだから。…キャー!私、分かったわ。北は地球そのものを北にするつもりなんだわ!なんてこと!すごい事に気がついちゃった!じゃあどっちを向いて帰ればいいんだろう、東行きはどっちになるの?右?わーいわーい!宇宙はどっち?許せない!おえええ!
サクヤはいきなり白濁した液体をゴボゴボ吐いたかと思うと、白目を剥いてビクンビクンと痙攣し、最後に消え入るような声で言った。ヒロヤ…ユウジロウ…ダイキ…好きだったわ…。みんなサクヤの大切な恋人だもん。
御堂は思った。この女は本物の狂人で、自分の生い立ちだの愛国の話は実に下らないが、先ほどの北の国の話は、実に興味深いと。世界を滅ぼしかねない金色の巨大ウナギ。鉄の不死鳥。影の宣教師達。古代より伝わる伝説。そうした伝承は、必ず天露のような冷たい気配を纏っている。それは寒さ。脳内に漂う霧の中でしか生きられないはずの存在。そして、サクヤの話には並々ならない説得力、本当にそうなのではないかと思わせるリアリティが有った。御堂は、いつかその金色のウナギ達を見てみたいと願うようになっていた。御堂は、金色のウナギ・鉄の不死鳥・影の宣教師の三つを、北の三幻神と呼ぶようになっていた。
次に御堂が北の国の噂を聞いたのは、テレビだった。ある時期から、北に関するニュースがテレビで頻繁に放映されるようになったのだ。理由は分からない。多分、イエローモンキー最強決定戦がちらほら行われるようになってからだろう。
町はざわめいていた。フォークシンガーはみんな北の歌を持っていたし、小説家はこぞって北を書き、こんなタイトルのドラマもやっていた、北の国へ。御堂は、僕はずっと前から北の事を考えていたのに、今ではみんなが考えていてつまらないなと思った。あと、僕の考えている事とみんなの考えている事が全然違うのはなぜだろうと思った。同じ物の事を考えているのに、こうも内容が違うというのは、やはりそれだけ北の国がミステリアスだからなのだろうなと思った。しかし、人々が北の国は怖いという所は御堂も同じだった。だって、外国ってのは基本的に怖いものだからだ。人が居る、これ以外に何一つ知ってる事がないんだから。雑誌もテレビも濾過と添加で本当の味が分からない、メロンソーダはメロン味じゃないのに、みんなメロン味だって思ってるし。言葉も知らないし、何を食べているのかも、何を信じているのかも知らない。そんな所にひょいと行くだなんて、全く勉強をせずに試験に受けるようなもの、そんな恐ろしい事がこの世にあるかな。
深夜、いつものようにテレビを観ていた御堂は、一瞬だけ映し出された不思議な映像を目撃した。男が一人、それは御堂だった。テレビの中の御堂はこう言った。ところで、他の国も怖がるなら分かるけど、北ばかり見ててどうする?見ろよ、鏡を。信用するなよ、自分を。テレビの外の御堂は、何を信じれば良いのか分からなくなった。
そんな運命に導かれるまま、御堂は様々な職を転々としたのだが、その中で和彦という男と知り合い、友人になった。和彦は危険思想家の男で、いつも革命や国家転覆について具体的に考えていた。御堂はサクヤの件もあって、こうした自己主張の強い男は苦手だったが、この類の人間が展開する話の特異性は面白くて好きだった。
二人で酒を飲んだ時、何とは無しに北の話になったので、御堂は和彦に三幻神の話をした。すると、なんと和彦は金色のウナギを持っていると言う。御堂は驚いて、どういう事なのか説明を求めた。すると、和彦はこう言った。
私は某国に本拠地を構える秘密結社ゼウマーに所属しているのだ。ゼウマーは迫る世界戦争を事前に食い止める為に活動している正義の組織。しかし各国の、肥大・先鋭化した軍事力と危機感皆無のボンクラ民衆の前には、丸腰の闘争や平和主義の提唱など、もはや何の意味も成さないだろう。そこで、我々は北に潜む金色のウナギの噂を聞き、独自に調査を開始したのだ。スパイを送り込み、企業を金で買収し、暴力で脅し、拷問で吐かせ、とうとうその実態を掴む事に成功した。さらに、我々はそのデータを元に金色のウナギのコピーを生み出す事にも成功した。オリジナルよりも能力をパワーアップしたそのコピーは今、我がゼウマー総司令部の地下格納庫で眠っている。つまりはゼウマーの一員である私が所持しているのと同じ、という事なのだ。
和彦は焼酎のロックをゴクリの飲み干し、得意げに言った。御堂は、ゼウマーとは何てバカな集団なのだろうと思った。なぜなら、戦争を止める為に怪しげな取引をしたりスパイを送ったり拷問したり金色のウナギを奪うなんて、それはもう戦争と同じだと思ったからだ。それなのに、本人達は止めていると認識している。このとんちんかんな思想を、御堂は戦争よりバカげていると思った。
御堂は言った。それはもう戦争なのではないですか?和彦は言った。それは絶対に有り得ません。二人は飲み代を割り勘にして支払い、店を出た。
数日後。ゼウマーの幹部達がダイナマイトを体に巻きつけて国会議事堂と警視庁に自爆テロを仕掛けた時、御堂は立ち食い蕎麦屋で天ぷら蕎麦を食べていた。ノイズ混じりのニュース速報で、腹から真っ二つになった和彦が映っていたが、モザイク処理が行われていたため、御堂はとうとう何か分からないまま店を出た。
この事件をキッカケにゼウマーの存在が明るみになり、全国で構成員の指名手配や関係者の取り締まりが行われるようになった。秘密警察のような機関も発足した。彼らはゼウマーだと思われる人物を捕らえて苛烈な拷問を加えて、内部の情報を搾り出すのだ。こうして芋づる式に構成員を捕らえる事で、日本からゼウマーを根絶やしにしようという。
御堂も捕まった。和彦と飲み屋に居た際に、北や革命の話をでかい声でしていたのが、店内のカメラ、及び居酒屋のマスターの脳に記録されていたからだ。御堂はハンバーガーショップのテーブルで、チキンバーガーを齧っていた所を取り押さえられ、何のことだか分からない御堂は暴れてしまった。その暴れ方が革命的だという事で、あっという間に秘密警察地下施設という、いかにも危険そうな施設に収容されてしまった。ここは、ゼウマー関係者の容疑がある中でも、特に関係性が深かったA級容疑者が集められていた。というか、ゼウマーに属していた人ばかりが集められていた。御堂はそれを知って青ざめ、なぜ自分がこんな所に入れられなければならないのか説明を求めた。すると、その質問の仕方が革命的だと判断され、御堂は容疑者の中でも札付きの容疑者、テロの実行に携わった者が入れられるエリアに収容され、筆舌に尽くしがたい多種多様の暴力を加えられた。
御堂は何とか無関係を証明しようと、あの手この手で自分の思いを訴え続けたが、まるでカニのような目をした刑務官は微動だにせず、御堂が何かしら行動をする度に、革命的+1、と小声で呟く。あまりに理不尽な扱い、御堂はとうとう、こんな国は本当に革命が起きた方が良いのではないかと考えるようになっていた。
秘密警察もあらかたゼウマーを根絶やしにし、地下収容施設の廃棄物処理場も山のような白骨で窮屈になってきていた。この白骨達は粉砕機で定期的にシャリにし、コンパクトになっているはずなのだが、それでこれだけの山になるとは一体何人分になるのだろうと、御堂は思った。
今頃になって、御堂の容疑は晴れた。ゼウマーの親玉である是馬寅雄(ぜうまとらお)が、マカオのリゾートホテルで女遊びをしている時に捕まり、構成員やその他関係者の情報を全て吐いたからだ。当たり前だがそこには御堂のミの字も無く、本当に関係無かったんだなという事で御堂は解放された。
もちろん、はいそうですかサヨウナラと言える御堂ではない。散々、酷い目に遭わせておいて、何ヶ月も地下に閉じ込めておいて、ありとあらゆる侮蔑の言葉を投げつけておいて、関係ありませんでしたねで済むわけがない。御堂は怒り狂い、秘密警察本部長の柳生正人に言った。あまりにも酷すぎる。相応のお詫びをしてもらわなくては、僕は許さない。しかし、柳生は涼しい顔で平然と言い放った。許さなくて結構、疑われるような事をする方が悪いのです。これには御堂も呆れ果てた。
御堂は、もうこんな国で生活するのはやめようと思った。というか、無理だと思った。
御堂狂四郎地下組織関与のニュースはテレビでバシバシ報道されていたので、いくら無関係でしたと解放されても、知り合いや近所の人の目はとにかく白い。何か悪い事をやったというイメージはそう簡単には無くならないし、御堂本人がそれを説明した所で逆に疑惑の念を掻き立てるだけなのだ。本来なら、国家の側が国民一人一人に、あの人は我々の過ちで無実の罪を着せられていたのです。なので、この記憶削除マシーンを使って御堂氏の逮捕に関する記憶を全て削除させて頂きたい、と言って回るべきなのだが、そんな事をしていたら官僚は遊ぶ時間が無くなってしまうので、やらない。正しい方法で間違いを改めるというのは大変な事で、実際には不可能な事なのだ。
そんなわけだから、御堂は人々に白い目を向けられたまま仕事も無くなり、買い物もできず、借りていたアパートでもとにかく居心地が悪かった。肥えた主婦達はヒソヒソと御堂を正体不明の化け物に仕立て上げるし、大家は御堂を追い出そうとアレコレ策を弄した。
今までは野菜を交換したり、オカズを分けてくれたお隣さんも、まるで別人。御堂の畑にイナゴや廃油をばら撒き、オカズにコヤシを飛び散らせるなどの嫌がらせを絶え間なく行った。御堂を見下ろし、悪魔のような笑みを浮かべる様を見て、御堂は人間の本質を知ってしまった気がした。人間は敵がいると楽しくて仕方ないのだ、敵を苦しめるという遊びを覚えると、まるでサルのセンズリみたいに夢中になって、道徳だの優しさだの学校で教え込まれた幻想を忘れてしまうのだと。
御堂はもう何もかもイヤになって、放浪の旅に出た。それもそのはず、こんな状態でここに留まる人など、アホとしか言い様がない。
御堂はしばらくあてもなく彷徨ったが、どうも上手く放浪出来なかった。それもそのはず、日本は世界で一番、放浪の旅に向いていない国なのだ。
放浪の旅とは孤独と未知と巡り会いを探して進む事。つまり、人の気配が有ったり知っている土地をすごろくのように進む事は許されない。それは旅ではなくて旅行になってしまうからだ。この日本の何処に人の気配が無くて知らない土地があるだろう。町の隣は町だし、山や湖は全て何者かの所有物だし、そもそもありとあらゆる場所に繋がる道が無数に敷かれている。御堂は途方に暮れた。それこそ、かごめかごめの状態で、お前なんかどこかへ行けと言われているような気分だった。
そんな御堂だったが、生きていると不思議な事もまた起こる。山で通報に怯えながら野宿をしていた時に知り合った狩人から、放浪者のユートピアと呼ばれている場所の噂を聞いた。狩人は、そこへ行けばこの日本に居ながら放浪を成す事ができると言う。当然ながら、御堂はそんな噂は信じなかった。胡散臭いし、話の感じからしてグループ感が有る。集団とか仲間内などといった、寄り集まってワーワー仲良しごっこをやっている人々に辟易したから放浪している御堂は何の魅力も感じなかった。そもそも、そこに行けば放浪できる、という文言が実は矛盾している。放浪は不定の行為であるからして、ユートピアという施設の中で何をしようと、それは放浪ごっこなのだ。御堂は狩人の言葉に希望など見出せなかったが、どちらにせよ希望が無いので、とりあえずの目的地としてそこを目指す事にした。それに、御堂は胡散臭い物や怪しい物は嫌いではなかった。北の三幻神を追い求める気持ちはまだ有ったし、もしかするとそれに通じる何かがそこに有るかもしれないと思ったのだ。
数日の旅の末に、御堂はユートピアに辿り着いた。そこは世界各国から流れ着いた密入国者と、国内の脱獄囚と、色々有って地元に居られなくなった人達が、独立国だとして形成した村だった。御堂は、こんなくだらない場所に来るために旅をしたのかと思うと膝が折れたが、すっかりくたびれていたので、何日かここで暮らす事にした。
御堂は適当に入ったコミューンで、ホルモンを食べろだの、煙草を吸えだの、二級酒を飲めだの、思いがけない好待遇を受けた。なぜなら、ユートピアのごんたくれ共にとって、御堂はある種の英雄だったからだ。国家転覆を目論んでいた組織、しかもその中枢に居た人物として投獄されていた御堂。悪事の大きさがバロメーターになるユートピアで、御堂はかなり上の地位に居るらしかった。もちろん、全ては濡れ衣であり、御堂もただの勘違いなのを分かっている。分かっているが、黙っておく。本当の事を話す必要は無いし、食べ物や宿賃が無料になるならそれに越した事はないからだ。
御堂はそこで淀という女と知り合った。淀は見た目はただの綺麗な女なのだが、悪党であればあるほど惚れるという奇癖を持っており、ユートピアで一番悪い人と付き合う事を目的に生きている不思議な人物だった。
淀はもちろん御堂に惚れていた。言うまでもないが、国家転覆を目論むテロ組織の中心人物となると国内ではこれ以上ない悪党という事になるからだ。淀は御堂に艶めかしい所作で近付き、耳たぶを咥える、太ももを撫でる、首筋に舌を這わせる等の淫らな行為に及んだ。しかし、御堂はこうした女を反吐が出るほど嫌悪していた。なので、強引に引き離そうとするも、淀はすっぽんのように執拗に喰らい付く。仕方がないので、御堂は拳を淀の顔面に叩き込み、腹に蹴りを入れた。鼻から鮮血が飛び散り、前歯が折れ、淀はうずくまって悶絶した。御堂は言った。さっさと消えてくれ、君のような女に関わりたくないんだ。すると、淀は感激したような顔で震え、こう言った。ああ…なんて悪い人なの…好き好き好き。御堂の行為は逆効果となり、ますます淀を惹き付けてしまった。淀は御堂から離れなくなり、御堂も淀の執念に根負けしてしまい、とうとう二人は事実上の婚姻関係を結ぶに至った。
穏やかな昼下がり、淀は言った。狂四郎君、何か悪い事をしないの?御堂は言った。僕はそんな事はしない、ただこの国にはもうウンザリだから、どこか遠い所へ行きたいんだ。淀はそれを聞いて、御堂を非国民だ売国奴だとピョンピョン飛び跳ねながら喜んだ。そして、御堂に擦り寄るとこう言った。なら、北がオススメだよ。悪い人はみんな北へボウメイするの、それはとっても悪い事で、日本の人は揃ってその人を非難するわ。私、是非とも狂四郎君にそれをして欲しいなぁ。淀は上目遣いで御堂を見つめ、熱い息を漏らした。淀は亡命の意味を理解しておらず、ただ御堂の悪事を想像して欲情しているのだ。御堂は言った。それも悪くないな、昔から北に興味が有ったんだ。とんでもない事をサラッと言う、そうした姿がまた淀を興奮させた。淀はその日から亡命に必要な準備を水面下で開始した、それを御堂の誕生日にサプライズでプレゼントしようと計画しているのだ。
御堂の誕生日、淀は御堂に偽造パスポートをプレゼントした。これはただ空港に入る為だけに使う物で、飛行機は淀をはじめとした亡命志願の若者達がハイジャックした飛行機を使用する手筈になっている。御堂はそれを聞いて驚いたが、よく考えれば、こいつらならそれぐらいの事は本気でやりそうだと思った。御堂は言った。パスポートなら本物を作ろうと思えば作れるんだけど。淀は自分で股を静かに弄りながら言った。偽造の方が悪くて良いじゃない、うふふ。御堂はこの女の性癖だけは理解できないとため息をついた。
…
そんなわけで、御堂はハイジャックされた飛行機に乗った。冒頭のシーンに追いついたと思ってくれれば良い。これから御堂の三幻神伝説を巡る旅が始まるわけだ。巡ってどうするのかって?どうもしやしないよ、遊園地に行くようなもんじゃないかな?メリーゴーランドに乗ってどうするの?ネズミ人間に会ってどうするの?って、そんな質問をしているようじゃ旅は楽しめないよ。
つづく
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