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応援ってすげぇ

"推しは推せるうちに推せ"

ここ数年で随分とよく聞くようになった。

自分も今まで応援してきたものを思い返せば、ドラマは最初から1クールと決まっているし、バンドやグループは脱退・活動休止・解散。漫画は打ち切りか円満な最終回。
趣味で活動をされている方だと、サイト等の更新が急に止まっていて、明確なピリオドすら打たないまま時間が止まっていることも多々あって。

作品として残してくれるものはあれど、永遠に続くものなんてなくて。カタチあるものは必ず終わりが来る。

それは今まで身をもって嫌というほどに経験をしてきたし、"きょうりゅうたろう"という活動をする上でも常に頭の片隅にあるものです。

そんな僕は数年前まで、自分1人の声ではどうせ何も変わらないと思って生きてきました。
自分1人が声を出して応援しようがしまいがそれが応援対象に影響を与えることがあるなんて微塵も考えなかった。
烏滸がましいとすら思っていた。

だから、心の中では応援はすれどその気持ちを行動に移そうだとか、何かカタチにしようとすることはなかった。

そうしていくうちに好きなバンドは解散していくし、好きな漫画も打ち切られていった。引退して一般の方になった俳優さんもいた。

悲しかったし、なんでと怒りが湧いた時もあった。でも行動には移さなかった。
移せなかった。


そんななかで一つのターニングポイントが訪れる。それが2018年放映開始『仮面ライダージオウ』という作品との出会いだった。

本作は簡潔に言えば、いわゆる平成ライダーと呼ばれている『クウガ』から始まる19作品を"平成最後の作品・記念すべき20作目"として総括をするというもの。
制作発表時には、19作品のレジェンドキャラクターたちを当時のオリジナルキャストが再演するということで、SNSを筆頭にかなりの反響があった。

これに関しては以前記事を書いたことがあるのでそちらを近いうちに再掲して掘り下げたいが、その時の僕の心境は"嬉しさ半分、不安半分"だった。

歴代の仮面ライダー出演俳優らは、某高級焼肉店で偉い人に「君たち次第でこの歴史あるシリーズが終わるかもしれない」と最初に言われるらしい。
そんな例年課される圧に加えて、今作は過去の19作品をも背負う。
背負いつつもレジェンドはあくまでゲストだから『ジオウ』というメインが食われてはいけない。

自分ならとても耐えられないと思った。
同い年の俳優さんもいたからより一層感情移入してしまって。「かわいそうだな」失礼な話ではあるが、正直それが最初の感想だった。

でも、そんな不安は杞憂で、『ジオウ』メインキャストらはレジェンドゲストに負けることなくとてつもなく輝いていた。キャラクターひとりひとりが愛おしかった。
だからこそ本作が大好きで、大学3-4年生で就活生だった当時は、のめり込むようにハマっていった。

ただ、それと同時に、同じ年齢の俳優さんは雑誌等のインタビューで、本作に対する重みの悩みを垣間見せていた。「自信が持てない時もある」と話していた。

そして番組が始まり8ヶ月ほど経った2019年5月のゴールデンウィークに、某歌謡祭のステージとしても用いられ印象的な舞台でもある品川プリンスホテルの"飛天の間"でイベントが行われた。

仮面ライダーシリーズは始まった時から1年で終わると知っている。始まりは終わりの始まり。そして既に折り返し地点を過ぎ、作品としては終盤に差し掛かる時期。

インタビューで悩みを見せていた同い年の俳優さんは、最後の挨拶で「『ジオウ』という作品を愛してください」と語っていた。どんな気持ちでその言葉を発したのだろうとぐるぐる考えたのを覚えている。

「すでにたくさん愛してます」「これからも愛し続けます」とどうしても無性に伝えたかった。

イベント後、初めてファンレターというものを書いた。筆をとれば気恥ずかしい気持ちなんか忘れて、どんどんと文章が連なっていく。

「キャラクターの葛藤、ちゃんと伝わっています」「平成ライダーが出ているからではなく、19作に並ぶ1作として、『ジオウ』という作品自体を愛しています」「キャラクターを愛しています」「全力で愛し最後まで悔い無く見届けます」

無心で書き殴った手紙は10枚を越えていた。迷惑かなとか、読んでもらえるかなと思いつつも、勇気を出してポストに投函したのを覚えている。

その後ファンレターが俳優さんの元へおそらく届いて。その俳優さんが「『ちゃんと伝わってます大丈夫です』『愛してます』って内容のファンレターで、中盤自信が持てなかったけどそれを糧に頑張れました」「僕にとっての救世主です」と何度もインタビューで話しているのを読んで、もちろん自分の書いた手紙をだけを指しているとは当然思っていないけど、少なくともそのうちの1枚として彼を鼓舞することができたんじゃないのかと感動した。
伝えることは無意味じゃないんだと痛感した。

そこからは好きなものはおおきな声で「好き」と言いたいし、形にして伝えることを大事にしようと思うようになった。

 
そして2つ目のターニングポイントが、今の"きょうりゅうたろう"としての活動。

"がお"という恐竜のキャラクターを通して自分の思いや感情をイラストで表現したりしている。

活動を始めて2年と少し。
ありがたいことに想像を超える人に見てもらい、たくさんの出会いに恵まれ、支えられ続けてきた。グッズや原画を買ってくださり、ファンだと公言してくださる方々もいる。関東関西問わず展示をして、地元名古屋では老舗百貨店で展示することもできた。いまだにファンの方とは言えず、応援してくださる方と呼ばせていただいているが、本当に想像もつかない場所に立たせてもらえているとひしひしと実感する。

そう、"応援される側"になった。

応援される側になって気づいたのは、ヒーローショーでの「みんなの応援のおかげでパワー全力全開だァー!」というセリフが事実だということ。

日々見ていただけるでももちろん嬉しい。
中には投稿にいいねやコメントをくれたり、シェアをしてくれる人たちがいる。ファンアートを描いてくれたり、誕生日や記念日は盛大に祝ってもらえて。展示をすれば花をいただけたり差し入れをいただけたり。

質問BOXをストーリーに置けば「いつも元気をもらってます」「代弁してくれる気持ちになるんです」「がおくんが大好きです」「応援しています」そんな言葉で溢れる。
DMで投稿した作品から感じたことを言葉を選びながら長文で綴ってくれる人がいる。

正直、僕は泣くことが増えました。

自分のことが大嫌いだ。
情けない、不甲斐ない、みっともない、そう自分を責める日々が10何年も続いていた。保身のためにときには嘘をついて生きなきゃいけないのが辛かった。他人から認められることで承認欲求を満たすのに必死だった。社会人になりついに限界が見えはじめ、この世界がとてつもなく息苦しくてはじめたこの"きょうりゅうたろう"の活動。

これがこんなにも自分を愛してくれるなんて。自分のために時間とお金を割いてくれるなんて。「影響を受けて頑張れる」と言ってくれる人がいるなんて思いもしなかった。

あなたが応援してくれると言ってくれたそのとき、もうこの活動はやめてしまおうとばっさりアカウントを消してしまおうと思ったときだった。

あなたが作品にわざわざコメントをくれたとき、どうしてもベッドから起き上がれず自己嫌悪に陥って死んでしまいたいと思っているときだった。

あなたが「好きだ」と言ってくれたそのとき、僕は自分で命を絶とうしていたときだった。

踏みとどめてくれたのはあなたのアクションです。
想いをカタチにして伝えてくれてありがとう。

コロナ禍に入ってから、ヒーローショーで「拍手とペンライトで応援して!」というアナウンスに泣きそうになる。数年前はあんなに大きな声援で溢れていたのに。
一生懸命に前のめりになって拍手をし応援する子供たち。全力でペンライトを振るひとたち。それを見て涙を流す俳優さんたち。やっぱり声を出して"頑張れ"と伝えたかった。最後くらい、役名を呼んであげたかった。


一度力を失って地面にへばりついても、みんなの声援で不思議でキラキラな力が降り注いで、またパワー全開になって戦える。

烏滸がましくも応援をしてもらえる側になり、改めて想いをカタチにして伝えることを大事にしたいと強く思うようになった。直接影響があるかないかなんてどうでもいい。間接的にしろ、かならず、かならず何かしらのカタチで届くんです。意味がないはずがない。

だから「好きなものは好き」とこれからも言い続けるし、応援ができるうちに悔いなく応援をする。
気を遣ってくれる方もいるが「またこのひとか」なんて絶対思わないし、むしろいつもありがとうの気持ちでいっぱいです。ありがとう!

だから、みなさん、これからも応援よろしくお願いします。ぜひ陰ながら応援せず、堂々と、声に出して応援してください。僕もそれを全力で受け止めますし、みなさんを応援します。愛してください。くどいくらいカタチにしてください。

もしお会いできる機会ができた時!
その暁には、ぜひクソデカ感情たっぷりのお手紙をください!必ずいつか会えます。会います。会いに来てください、


そして、もちろん好きなものもこれからも堂々と、鬱陶しいくらいに全力で応援します!

おい、聞いているかー!!
大好きなもの諸々ぜんぶ!

覚悟しておけよ!!
めちゃ推すから!!!


それくらいの気概でみなさん好きなものをカタチにして応援してみませんか?

迷惑行為だけは絶対ダメだよ🙅‍♂️

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