長崎と広島


「広島は平和を売り物にしている」


 今年4月、私は就職して晴れて社会人となりました。勤め先は関西圏のとある学校。4月1日から新任研修のため早速出勤したわけですが、その初日に耳を疑う一言を聞きました。それが見出しの言葉です。


 具体的なシチュエーションを書くと特定されてしまいそうなので、だいぶ割愛させていただきますが、まさか新任研修でこの言葉を聞くとは思ってもみませんでした。

 その後、真意が気になって発言の主に質問をしてみることに。

「あ、すみません。"平和を売り物にしている"と言われた広島出身のものなんですけれども…」

 少々パンチの効いた入りで尋ねましたが、発言の主は腹を立てずに聞いてくれました。


「"平和を売り物にしている"って具体的にどういう感じですかね…?」


 発言の主はこう答えました。

「広島は"国際平和都市"を標榜しているが、これを観光資源として利用しすぎていると感じる。」

 核兵器廃絶、世界恒久平和という目標実現のために、あらゆる形で平和への取り組みを表現してきた広島ですが、そこにある種のビジネスの香りのようなものを感じ取ったということでしょうか。


 少しもやもやとした気持ちを抱きながら、礼を言ってその場を立ち去ろうとすると、発言の主はこう続けました。


 「長崎は、最後の被爆地として純粋に平和を訴えている。静かに祈りを捧げている。」


水の公園


 長崎。それまであまり関わって来なかったもう一つの被爆地が思わぬ形で対比されたのに、少し驚き、新鮮な気持ちを抱きました。

 「広島と長崎のちがい」。頭の中でかすかにその言葉を反芻したとき、ふと数週間前に訪れた長崎の街の光景を思い出しました。


 九州のほぼ西端。複雑に入り組んだ海岸線を持つ長崎市。その中心部は、長崎湾の入江の一番奥に位置しています。東西を山に囲まれた浦上川沿いの僅かな平地に、安土桃山時代から港町として市街地が発展してきました。明治以降は沿岸部に軍港や多数の軍需工場が立ち並び、日本有数の軍都として多くの人が生活することとなりました。


 1945年8月9日11時2分、広島に世界で初めて原爆が投下されたわずか3日後。長崎の市街地の北部、松山町の上空500mで、人類史上2発目の原子爆弾が炸裂しました。


 突如上空に現れた巨大な火球は、熾烈な熱線と猛烈な爆風を生み出し、一瞬にして長崎の街を廃墟にしました。

 犠牲者の数は約7万人。3日前の広島の約半分の数ですが、都市規模を考えると広島と同じかそれ以上の凄惨な被害です。


 爆心地の数百メートル北側に位置する平和公園。今年3月に長崎に旅行に行ったとき、初めて訪れることができました。


 爆心地公園から階段で小高い丘を登ると、石造り円形の通路に入り、その中心には「平和の泉」と書かれた噴水が見えます。


 噴水の奥に進むと一気に開けた空間が。そして、その突き当りには、巨大な男の像が天を右手で天を指差しながら鎮座していました。


 暖かな3月の昼、雲一つ無い晴天を指差す男の像の前には、並々と水の張られた池が静かに広がっていました。

 水。長崎の平和公園は水の公園です。広島の平和記念公園よりも、ずっと多くの水が配されています。


 被爆直後、「水を、水を」ともがき苦しんだ人びと。その数は、市内に7つの川が流れる広島より、水辺の少ない長崎の方が多かったことは想像に難くありません。浦上川を目掛けて彷徨い歩いた爆心地近くの人びとの姿は、生き残った人びとの記憶に深く刻まれ、水に潤う平和公園を生み出しました。


 空の青さ、銅像の青さ、そして水面の青さ。青に包まれた長崎の平和公園は、たしかに、静かに佇んでいました。


平和宣言


 新任研修から早4ヶ月。右も左も分からないまま一学期が終わり、自分の職場も夏休みが始まりました。生徒の来ない夏休み、どこかのんびりとした空気の中、教材研究や二学期の準備を進めていきます。

 8月9日の午前、閑散とした職員室で仕事をしていると、ふと時計が目に入りました。
 10:30。そういえば、今日は長崎の平和祈念式典があるじゃないか。

 どうせ急ぐ仕事なんてない8月のお盆前。ワープロの画面を閉じ、パソコンで式典のオンライン配信を見始めました。


 献花、献水。画面の中の平和公園は、春に訪れたときにも増して静かな空気に包まれています。

 そして、午前11時2分。鐘の音とともに黙祷を捧げます。


 黙祷が終わると、長崎市長が前に出てきました。長崎平和宣言。

 マイクの前につくと、市長は紙を広げ、こう発しました。

 「原爆を作る人々よ!しばし手を休め、眼をとじ給え。」

 叫びにも近い勢いのある声は、静かな平和公園に一層響き渡りました。


 被爆者の詩の一節から始まった平和宣言。今までに聞いたことのないほど、力強く、そして未来に向けて切実な訴えでした。

 「平和をつくる人々よ!一人ひとりは微力であっても、無力ではありません。」

 広島の平和宣言が「国際社会へのメッセージ」であるならば、長崎の平和宣言は「全人類への訴え」。地球上の誰にも他人事に思わせない、まだ見ぬ未来の世界平和に向けた、切実な呼びかけ。

 「私たち地球市民が声を上げ、力を合わせれば、今の難局を乗り越えることができる。私たちは思い描く未来を実現することができる。長崎は、そう強く信じています。」

 市長はまっすぐ前を向いて、言い放ちました。


長崎と広島


 宣言の後、飛び立つ鳩を見ながら、長崎の見つめる平和とは何かを見つけました。

 長崎は、未来を見ています。

 今なお世界中で紛争が起き、大国が核を保有し、「核の傘」と呼ばれる危うい抑止力が席巻している地球上。核廃絶、世界恒久平和とは程遠い現状です。

 しかし、未来に向けて切実に祈り、訴え続ければ、確実に目標に向かって前進していける。79年間の歩みがそうであったように、これからも少しずつ私たちの願いは実現していく。長崎は、前向きに未来を見つめて、平和を希求していました。


 そしてそれは、長崎と広島の決定的な違いでもありました。

 広島は、現在を見ています。複雑に絡み合う各国の思想、政治。そして、それらの生み出す、今にも崩れそうな国際秩序。最初の被爆地は、次の戦争を生み出す世界の為政者に向けて、あらゆる形でNOを突きつけています。


共通のゴール


 「広島は平和を売り物にしている。」ここで、冒頭の言葉が蘇ります。果たして、広島の街に、そんなレッテルを簡単に貼ることができるのか。

 と、ここまで、冒頭で取り上げたあの発言を思いっきり否定する雰囲気になっていますが、私が言いたいことは実はそうではありません。


 実際に、4月の新任研修で発言の主から最後に「あなたはどう思う?」と聞かれたとき、私は「そうかもしれない」と答えました。


 広島市にとって、原爆ドームや平和記念公園は重要な観光資源の一つになっています。そしてそれは、街の魅力をアピールする材料としてしばしば利用されています。文字通り「売り物にしている」節はあるでしょう。


 だけど、それがいけないのか。積極的にアピールをし、街に足を運んでもらうことで、世界が平和に近づくこともあるのではないか。


 私は4月のあのとき、「そうかもしれない」としか答えられませんでした。でも今なら胸を張って言えます。

 「それでも、長崎と広島の目指すゴールは、まったく一緒だと思います。」


 未来を見据え、静かに祈る長崎。現在を見据え、平和を考えさせる広島。

 2つの被爆地はそれぞれに役割があり、これまで、そしてこれからも、世界恒久平和に向けて歩んでいくことでしょう。

 私も、新天地での新たな発見を胸に、被爆80年に向けて歩んでいきたいと思います。


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