記念碑はなんのためにある



「心の傷を癒すということ 劇場版」


 先日、職場のパソコンに届いた一通のメールに目が留まりました。

 「来年2025年、阪神淡路大震災から30年という節目を迎えるにあたって、ある映画のチャリティ・オンライン配信を紹介します。」

 映画のタイトルは「心の傷を癒すということ」。初めて見たタイトルだったので調べてみたところ、神戸で被災者のケアに努めた精神科医・安克昌氏の本をもとにつくられたテレビドラマの総集編とのこと。

 映画は3年前の2021年に公開されたもので、今回の配信は、今年1月1日に発生した能登半島地震を受けて製作委員会がチャリティのために実施しているものでした。

 私自身、震災に関するエッセイや史料はこれまでに複数読んできましたが、映像作品にはまだ触れたことがありませんでした。せっかく機会だと思い、今日、見てみることにしました。


心のケア


※以下ネタバレ含みます。回避されたい方は、次の見出しまでスキップしてください。


 映画の主人公は、大阪に生まれ神戸で精神科医として働く一人の青年・安和隆。自分の生まれた境遇に悩みながら生活する中で、同じ趣味、そして境遇を持つ女性・終子に出会い、意気投合をして結婚。やがて一人の子どもも授かり、充実した暮らしを送っていました。

 1995年1月17日、そんな生活を一変させた未曾有の大地震。和隆は精神科医の自分にできることを探して、被災地の避難所に赴くことに決めます。そこに待っていたのは、震災によって受けたさまざまな「心の傷」を負った人々。今までに前例のない、被災地の人びとの心のケアに向かう日々が始まりました。


 映画の中で、被災直後、人びとは眼の前の混乱に立ち向かうのに必死でした。肉親の死、自身の負った怪我、壊れた建物、突如変わってしまった日常をなんとか受け止めようとしていたのでしょう。

 しかししばらくして、震災で負った人びとの深い心の傷が徐々に姿を現し始めました。傷の痛み方は人それぞれ。さまざまな形で人々を苦しませます。

 誰もが経験したことのない状況の中、人びとの見えない心に寄り添うことはどれほど困難だったことか。瓦礫が片付けられ、水が戻り、ガスが戻り、電気が戻り、それでも心に癒えない傷を抱えながら生活する人びとを、どうやって救うことができるのか。

 主人公・和隆は、ひたすらその声を「聴く」ことで、一人ひとりに向き合い、なんとか心の傷を癒そうとしました。ときには自分の中に痛みや苦しみを取り込むかのようにして。

 そうして、和隆が後に気づいた心のケアの本質、それが「誰も一人にさせない」というものでした。


私がやろうとしていること


 映画を見終わったあと、いや、正確には見終わる数分前から、私はあることに気づきました。

 今、自分のやろうとしていることは、自分が思っている以上に大切なことなんじゃないか。

 もうここ数ヶ月間、時間があるときはずっと来年1月に開催する演奏会のことを考えています。

 「震災から30年の節目」「震災を知らない20代が中心となる」「つながる、そして祈る演奏会」。この演奏会を意味のあるものにしたい。そして、成功させたい。そのためには何が必要なのかを、常に必死に考え続けてきました。

 でも今日、映画を見終わってみると、自分がそれまでの必死さから少し離れた場所にいることに気がつきました。もうこの演奏会は、すでに意味のあるものになってるのではないだろうか。アイデアが実現して、団体が動き始めた現在、もう何かを成し遂げているのではないだろうか。

 何か根拠があるわけではありません。ですが、映画を見て心のケアとは何かを考えたときに、この演奏会の存在意義を一つ明確に見出すことができたように思います。それは、まだ見ぬ来年1月からはじまる、震災から31年目の日々なんかじゃなく、もっと近くに、今あるものです。


記念碑はなんのためにある


 少々本筋から逸れた話をします。いや、本質的には本題と関係のある話です。

 2019年3月、国土地理院は新たに「自然災害伝承碑」の地図記号を制定し、各種地形図への掲載をスタートしました。

 国土地理院いわく、制定の理由は「自然災害伝承碑は、災害の起きた当時の被災状況を伝えると同時に、当時の災害場所に建てられていることが多いため、地域住民の防災意識の向上に役立つ」といったものでした。実際に、制定のきっかけとなった平成30年7月豪雨では、土砂災害の伝承碑のすぐ横で住宅が被害にあったケースもあり、防災・減災の観点から非常に効果的なものであるといえます。


 しかし、人びとが伝承碑を建てる理由はそれだけでしょうか。私は決してそうだとは思いません。自然災害のあと、人びとは伝承碑の他にも記念樹や記念品を残すケースもあります。これらの存在は結果的に防災意識の向上をもたらすかもしれませんが、最初からそうした効果を想定したものではないでしょう。

 というか、そもそも効果を期待して建てられた記念碑というのは非常に稀です。戦災、事件、事故、はたまた快挙、偉業を記念して建てられた碑は、未来に向けた明確な目的を持って生まれたものでしょうか。きっとそうではないはずです。それでは、記念碑はなんのためにあるのでしょうか。


 その答えは、忘れないでほしいから、そして知ってほしいからだと、私は思います。

 誰かの人生を一変させたような出来事。人びとはそれらを忘れないでほしいから、知ってほしいから、記念碑を建てるのだと思います。

 なぜなら、忘れられてしまうことや知られなくなることは孤独になることだから。同じ出来事を、知ってもらうことで、触れてもらうことで、覚えてもらうことで、その出来事に居合わせた人びとは、孤独を避けられることができるのではないでしょうか。知らない人が知っている人になることで、その人の味方が増えるのではないでしょうか。


 記念碑は未来の誰かのため建てるのではない。現在とこれから先の自分のために建てるのだと思います。自分たちが過去に置いていかれないように、自分や大切な人びとが生きた証を残すために建てるのだと思います。

 であるならば、この自然災害伝承碑は余計に地図に載らなければなりません。なぜなら、その災害にあった人びとを孤独から救うことで心の傷を癒してきたそのものなのですから。


記念碑を建てる


 話を戻したいと思います。

 私が映画を見たあと、私の演奏会に見出した意味。それこそがまさに、記念碑のそれです。

 私の演奏会は、震災を題材にするにあたって、震災の記憶を新しい社会につなげることを掲げてきました。こうして見ると、先ほど取り上げた記念碑の役割に近いものが、この演奏会にはあります。


 それならば、私の演奏会の存在が、震災を経験した誰かを孤独から救うのではないか。知らない世代が、知って、それを表現して、また知らせる。この取り組みそのものが、過去に置いていかれそうになっている誰かを助けるのではないだろうか。

 もちろん、まだ初回練習すらもはじまっていない段階で、こんなことを考えるのはあまりにおこがましいかもしれません。が、これから演奏会の開催に向かっていく途中で、誰か一人でも震災を経験した人を前向きな気持ちにさせることができるのではないかと、今の私は思います。


 「誰も一人にさせない」。安先生の言葉が思い出されます。孤独にいる誰かに救いの手を、結果的にだとしても、差し伸べられるのなら。この演奏会の意味が新しく、そして明確に立ち現れたような気がします。

 このことに気づいてから、それまで背負っていた肩の荷が軽くなりました。もちろん、演奏会の開催に向けて必要な準備は山ほどあります。が、「この演奏会を意味のあるものにしなければならない」という思いに追いかけられることは明らかに減ったように思います。

 演奏会の存在が、誰かを孤独から救い、心の傷を癒す。そんな記念碑のようなものとして、なれるような気がしているからです。まだ、"気がしている"の段階です。だからこそ、それが本当か証明するために、堅実に一歩ずつ開催に向けて、進んでいかなければなりません。


 未来の社会のため、自分たちのため、そしてなにより、震災を経験した人びとのため。この意味のある演奏会を、また仲間と一緒につくっていきたいと思います。

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