服にもコスメにも興味がない女がファッションを分析する理由

いくつかのnoteにもしてきたが、私はイメージコンサルティング、いわゆる「イメコン」と呼ばれるものを少々分析してきた。

パーソナルカラー診断、骨格タイプ診断、顔タイプ診断、パーソナルデザイン、など
あげるとまだまだあるのだが、どれも1万円〜5万円はかかる診断である。(カラーと骨格で2万円などの組み合わせでの診断もある。)


決して安くはない金額。

いや、高い。

(余談だが、診断結果は調べる内容にもよるが、基本的には生まれ持ったもので一生変わることはなく、つまり今後の服やコスメ選びの失敗が減るという意味で受けているはずなのに、
結局診断結果に迷走して余計に物を買うという現象が起こるのがイメコンあるあるである。)

先程あげた4種類の診断は全て受診済みの私だが、実はコスメにも服にもさほど興味はない。

ではなぜ外見に関することを分析してきたのかと言うと、「人からどう見られるか」というところ、つまり【客観的分析】に関心があり、
コスメそのものや服そのものに関心があるのではなく、それを身につけた人との相性や見え方におもしろさを感じているからだと思う。

それはまるで苺大福のようである。
苺大福を見つけたら衝動買いしてしまう私だが、実は単体だと苺も大福もさほど好きではないのだ。



ごめん。たぶん全然違う。



さて、
外見ばかり着飾ることがすべてではないし、もちろん最終的に重要なのは中身だと思う。
でも、外見は、外見ではなく「見える中身」なのではないかと思う。

そもそもファッションというのは、他人が見ている時間が大半で、自分自身が見るのは家を出る時と帰る時くらいなのだから、
他人に見られる自分がどう映っているかに気をつけるというのは、社会で円滑なコミュニケーションを構築する上で重要なことである。
人は基本的には外見からしか判断せざるを得ないし、仮に内面を見てくれる仲になったとしても、どちらにせよ外見がいいに越したことはないからだ。性格を比較的わかっている自分自身の外見を客観的に見るのが難しいのだから、性格が見えづらい他人に対して外見の要素抜きにしてその性格を判断するのはもっと難しいだろう。初対面やまだ数回しか会ったことのない人や大事なお客様ならなおさらこの外見に関することは重要事項である。

また、「似合う」と「好き」のどちらを重視してスタイリングするかについては、意見が分かれるところだが、私は圧倒的に前者である。理由は前述の通りで、ファッションは、自分が見る時間よりも他人が見る時間の方が長いからである。

それは「好き」を否定しているわけではない。
しかし、仮に本人は大満足にも関わらず、客観的に見るととてつもなく似合わない服を着ていたとして、他人の好奇な視線に耐えられる自信は私には全くない。これは服やコスメが好きな人だからできることであって、私のようにそもそもファッションに関心のない人はわざわざトライすることではないのだ。
もっとも、これに関しては極論ではあるのだが、どちらにしても「より似合う」を追求することはプラスになることだと言える。

では「似合う」を重要視した場合、何をもってそうと判断するかというと、もうそれこそ客観的意見を参考にすべきである。自分が見た自分などは最も信用すべきではない。
再三述べているように、自分が自分を見ている時間より、他人が自分を見ている時間の方が長いし、
そもそも自分で自分を見る機会というのは、鏡や、あってカメラの前くらいで、少なからず「よく写る」ようにカッコつけている場面であることが多いため、その説得力も極めて低い。

ちなみに私はプロ診断してもらったスペックのうち、半分は診断前の自己予想から大きく外れた結果を受けている。そして、その通りにファッションやメイクを変えるようになってから、人から褒められる機会が増えたので、やっぱりプロに任せておくべきなのだと身をもって痛感している。

垢抜けた、というわかりやすいお褒めの言葉だけでなく、顔まわりが痩せたとか、肌がワントーン明るくなったとか、シンプルに年齢が以前より実年齢に近く言われるようになったりした。
実際は私自身が何か変わったわけではなく、メイクの色味や服の形などの効果を自身の肌質や体格との相性を加味して変えただけのいわゆる目の錯覚なのだからおもしろい。
これが「イメージコンサルティング」である。

「自分に似合う」を追求し続けることには論理的思考が必要だと思う。

憧れのモデル、流行りのインフルエンサー、どれも自分ではないのだから、その人たちのメイクやファッションをそっくりそのまま真似たとて、自分に似合うを再現できるとは限らない。

面長なAちゃんが参考にしているモデルBは、面長ではあるがAちゃんのように黒髪ではないかもしれない。

手足が長いCちゃんが参考にしているインフルエンサーDは、手足は長いがCちゃんのように目が二重ではないかもしれない。

誰もその人にはなれないし、誰かが自分だけの1番似合うを再現することはできない。


これは正解のない、見えないゴールを探し続ける旅だ。そしてきっと年を重ねて行くたびにさらに向き合って行く必要があるのだと思う。

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