自分のためでもあり、みんなのためでもある。がベストアンサー。
「大丈夫?」
平日の朝9時半。
在宅勤務の夫がわたしにかけてくれた第一声。
*
5時半に起きたのだけれど、今日は二度寝をした。
眠くて、眠くて。
洗濯機を回して、朝ごはんを用意して、
娘の髪をかわいく結ってあげて(私の至福タイム)
「では、おやすみ」
と、夫と子どもたちに宣言して
再び寝室へと向かう。
そして起きてきたのが朝9時半。
3時間近く、ぐっすり眠った。
寝ぼけたわたしに
夫がかけた言葉は
「大丈夫?」だった。
「よく寝たな~」とか
「あ、起きたん?」とかじゃなくて
「大丈夫?」
_わたしだったら嫌味のひとつでも言ったかもしれない
あぁなんて意地悪なわたし。
その事実に愕然とするけれど
だからこそ、夫がその分だけやさしいんだと思う。
おかげで、頭がすっきりして今これを書けております。合掌。
_普通の幸せを感じられなくても、やむなし
朝起きること
電気やガスや水道があること
きょうも風が吹いていること
歩けること
パソコンがあること
字が読めること
目が見える
耳が聞こえる
そういうことは
何より大事。
なのに
普通に暮らしていたら忘れてしまう。
当たり前にそばにある大事なことを
ちゃーーーんと大事だと日々感じることができたら
みんな一瞬でしあわせになれるんだけど
忘れるようになっているってことは
のかもしれない。
そのためには、今の足りないものに目を向ける必要がある。
足りないものや
満足していないものから
アイデアや企画が生まれる。
(ことの方が多いと)
おぉ
じゃあ、普通のしあわせを感じられなくても仕方ない。
_現状満足の上に成り立つ未来志向がほんとうにいいのか
「満足感からの行動がいい」とわたしも思うし
そういう声もよく聞く
でも諸先輩は 欠乏感からの行動 でこの有難い豊かな世界を創ってくれたように思う
だとしたら
欠乏感もあながち捨てたもんじゃない
※諸先輩=歴史上の偉人たちのことです
でもちょっと違うのはココ↓
じゃないでしょうか。
カッコイイ!!!!!
「もっとこうだったらいいのにな~」
「もっとこう在りたいなぁ」
って気持ちはだれだってあるもの。
それが
自分のためなのか、みんなのためなのか。
自分のため=みんなのため
と思ってやること
それほんとうか?
いつだって、自分に問いかける。
*
今朝の朝寝は
自分のためであり
みんなのためだったんじゃない?
寝不足で不機嫌な母&妻っていやだもんね!
寝不足だと病気になるかもしれないしね!
朝送り出してこそ母でしょ
で、がんばらないで良かった
現に、夫も子どもたちもそんな母&妻を受け入れてくれたし
しんどいときは休んでいいんだなって感じ取ってくれたかもしれないし
夫にもほら、ありがとうって思えている
*
自分のためでもあるし
みんなのためでもある。
その重なる所を
真ん中に置いて
行動を選択して、生きていきたい。
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