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勝手に読書感想文(紀里谷和明さんの著書を読んで)自分と話し合ってみた。

私は高2から子育てして、現在34歳になるが、紆余曲折していたのがひと段落した時、「ふぬけ」になってしまった。

何をやっても中途半端だった私が、唯一やり遂げたことが(まだ終わってないが)子育てや生活維持だった。それぐらい普通で当たり前じゃん、と言われるかもしれないが、最近はもう「普通」の定義が分からなくなってきている。

この紀里谷和明さんの著書を読んで、目から鱗(ウロコ)しか出なかった。

超超超オススメしたい。

読んだ後、ようやく、誰かに褒められた気がした。「ふぬけ」になった理由は、必死で生活を守り抜いてきたからこそ得られる「達成感」という言葉に変換された。いや、してもらえた。

長年自分を苦しめていた気持ちをひとつひとつ紐解くような物語は、自分の声で再生された。


親という肩書き


もともと不登校で社会に馴染めずにいた自分が、いつの間にか「母親」という肩書きを身につけ、立派になった、ならなくては、と勘違いをしていた。

それによって自分以外の誰かをモデルに、母親像を作り上げてきたのかもしれない。最近SNSをほとんど見なくなったのは、他人の価値観より自分の声を聞くためだ。

不登校児だった私は、親になっても思うことは同じだ。意味のない学校の校則や、日本人特有の集団の息苦しさは、娘の学校へ行っても感じることがある。

反面教師になったのか、娘2人は楽しそうに学校へ行っているが、私は親になった今でも学校という組織が嫌いだ。「親」らしく、「母親」らしく、という言葉は無意識の呪いだと思う。

生活を維持するってのは大変で、母子家庭時代はなかなか人にも頼れず、八方塞がりだった。

ここ福井県は、共働きが当たり前なので、女性がバリバリ子育てしながら働くのが普通といった風潮がある。

私もそれに飲み込まれていて、いつの間にかマインドコントロールされていたと気付いた。

私はいつも、自分以外の「誰か」になろうとしていた。

仕事について考えてみた

仕事で独立して5年ほどが経つが、決して社長さんでも何でもなく、ただ組織の中で生きるのが難しく、集団が怖いから、1人で仕事をしているだけ。汚い仕事をなんとも思わないだけだ。

偉いねと言われるが、朝は起きないし、基本的に裸族だし、何かに縛られた瞬間に嫌悪感が半端ない、わがままな人間だ。

文中に、"わがままのどこがいけないんですか?"とある。

しかし自分はわがままだと思っていても、実際は大人の自分と子供の自分が戦っていて、社会人なら…とどこかストップをかけてしまっている大人の自分が優位になっていた。

こんな仕事をしていると、人生のスタートの明るい物件にも携わるが、その反面で、誰かが亡くなったあとや、身体が動かなくなったあとの、「後始末」を目の当たりにする。

淡々と作業をするが、私は感受性が強いため、少し入り込んでしまう。こんなにため込んで、一体何が幸せだったんだろう。

まず、幸せか不幸せか、二択しかないのか?

この著書を読んだあとに考えてみた。そして、今の仕事は、自分が本当にしたいことなのか。

今まで、自分が何故この仕事をしているか?ではなく、自分が何故この仕事を辞めないか?をずっと考えてきた。あまり深く考えるのは良くないが、まだ若いので、新しいことも視野に入れたかったからだ。

私は仕事が続かなくて、嫌なもんは嫌。と、続ける美学からは一番遠い場所にいた。人間関係というより、組織が無理だった。

そんな自分が、ずっとやっているんだから、きっと辞めない理由があるのだろう、と探し続けていた。

でもその中で、いつも同業者や周りと比べてしまう自分もいた。心のどこかに。

慣れた仕事だからか?自由に働けて家事も両立できるから?というのがやめない理由なのかなと思っていた。

著書を読んだ後、真剣に考えてみた。

明確なのは、モウレツにその場所を片付けたり、お客さんを励ましたりしている時の自分と、やり切ったあとの達成感は、間違いなく幸せな瞬間だった。

私はこの仕事自体が好きなんじゃなくて、自分のノウハウや体力を使って誰かが喜んだり変わったりしていくのが嬉しいんだな。と思った。

ゴールに向かっている時が一番楽しいと気づいた。

それは、「お金をもらわなくてもやりたいことか」

文中の言葉に、ハッとさせられた。

これまで自分と向き合っているつもりでも、実は向き合っていなかったのかもしれない。


自分の幸せとは


たまたま、ある程度お金があった時期があった。仕事もほとんど断って、映画を見たりジムと家事だけをする日々を2ヶ月ほど過ごした。

「つ、つまらん」

あ、私は働くのが好きなんだな、と確信した瞬間だった。

バケーションは、働いているから意味があるんだと確信した。人はある程度縛られた環境の中でこそ、自由を感じるのだろう。

ちょっと前までは、将来は早々とリタイアし、雪国がイヤなので暖かい海外でゆっくり暮らしたいと考えていた。

でもリタイア、というところが最近変わった。元気な自分が、何もしないよりは誰かの助けになった方がいいと気付いたからだ。この著書を読んで、更に確信した。

私はありがたいことに、心身共に健康でいる。もう充分にありがたいことだらけだ。

それなのに、誰の目を気にしていたんだろう。誰に喜んでもらえたら一番嬉しいんだろう。誰に褒められたいんだろうか?なんにもしないで家に居たいのだろうか?多分違う。

時々、子供の頃のわたしが、おもひでぽろぽろ(ジブリ作品)のように訪ねてくることがある。

そうやって自問自答している頃に出会ったのがこの本だった。ますます私のハートを熱くしてくれた。自分がまるで道標をしているかのように、スラスラと読むことができた。


その日、わたしは今まで買った本を全て、捨てた。


迷走している人も、していない人も、スラスラ読めるので是非読んでみて下さいね。

ではまた!







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