見出し画像

心配は自己満足だと気づいた話

「あなたのことが心配なのよ!」について、私なりに考えてみたので書き留めておこうと思います。

私はとても心配性でした。どちらかというと、自分が何かをする時よりも、他者に対しての心配性です。

この「心配」というものは、時にやっかいだったり、お節介になったりします。時にですよ。

昔、わたしも同じことを他人に言っていたのかもしれません。いや、言ってました。



「あなたが心配なのよ」は、こちら側の都合だった

日本語は、主語が抜けており、「誰が」というのがイマイチはっきりしない文章になりがちです。

「あなたが心配です」ではなく、「私はあなたのことが心配です」が正解。

ここで言いたいのは、心配しているのは、あくまでも心配している側の人の都合ということです。

もちろん、心配していただいて、気にかけて頂いて、有難い場合もあります。大人になって、お叱りを受けることは、どれだけありがたいか。は、別問題。

この、「心配」が厄介になるのは、自分と違う価値観を持っていることへの否定が含まれていたりだとか、勝手に根掘り葉掘り聞き出して、興味本位で心配してるフリをして近づいてくる人の場合です。

例えば結婚に対して、一般的な価値観を持っていない人がいたとします。未だに福井県の価値観は田舎で、10〜15年前の日本だと思って下さると分かりやすいでしょう。

チラッとそういう価値観を匂わせた瞬間、さっきまで良い人だった相手が、目の色を変えてこう言います。

「え、大丈夫?なんだか心配なんだけど」
「誰か紹介してあげようか?」
「結婚は一回ぐらいした方がいいんじゃない?」

こんな会話はカフェなんかでデスクワークしていると、イヤホンをしていない限り、イヤでも耳に入ってきます。

しかし、最終的に困るのは自分ですし、本気で結婚したい人はとっくに何らかの行動はしているハズ…

「あなたのことが心配なのよ」は、あくまでも心配している人の気持ちであり、アドバイスはできても「あなた」の人生を変えることはできません。




子育ても同じだった

中学生の娘に、「いい加減心配するのをやめてくれ」と言われたことがあります。それがきっかけで、「心配」について考えることになりました。

小さい頃に大病をしたのもあり、なにかと心配をしてきた延長でいたのは、こちら側でした。

しかし、今現在は風邪ひとつひかず、元気で成長しています。なのにそれを受け入れてあげていなかったのかもしれません。

相手を心配するという行為は、こちら側の勝手な思い込みだったりします。しかし、心配したところで何も生まれないのです。




心配を、ちょっとした気づかいに変えてみた

人は、言葉を操ることができます。相手にどう言えば気をつけて帰ろうと思えるかな、相手にどうしたら心配しているがお節介にならない言い方ができるかな、と考えていました。

他人との関わり方下手な私は、いつも人間関係で失敗してきました。それは多分、頼られたらその人の悩み全てを背負っていたからです。結果、自分のことは後回しになっていました。

⚫︎相手を勝手に心配するのではなく、本当にその人に必要な言葉を選んでかけること。否定せずに見守るだけでもいい。
⚫︎心配してるよ、よりも、困ったらまた聞くよ、の方がライトでいい。

大人になり、失敗から人との関わり方を学び、このような考えになりました。

他人の人生を勝手に心配して生きるより、自分の人生に集中して生きた方がいいからです。




心配は、主語がこちらになります。
(私は、あなたが心配です)

気遣いは、主語が相手になります。
(あなたはどうしたい?)


相手を気遣いすぎて自分が潰れてしまってはいけませんが、心配する方も、される方もどちらの気持ちもわかります。しかし、優しさや、心配は、人それぞれ価値観が違うので、自分はこんなに優しいことをしていると思っても、相手はそうじゃないこともあります。

だからといって、気にしすぎいていると窮屈になってしまいます。

人間関係に悩んだら、まず、自分の世話を一番にやく。これに15年前に気づけてたらよかったなあ笑

ではまた!






いただいたサポート費で、コーヒーをいただきます☻