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新しい「批判の仕方」の方法を手に入れよう

こんにちは!

誰かのことを全てOKとしたり、逆にNGとする態度があります。
少し前、こんなツイートを見ました。

多分「批判的思考」と呼ばれるものに近い。

インターナショナル・スクールでは、「ウチでは批判的思考(Critical thinking)を教えます」と言う。子供の学校もそうでした。

今日は今こそ必要な「批判的思考」のお話です。

今こそ必要な「批判的思考」

批判的思考で「NG」とされてる人身攻撃ってのがあります。

Wikiによるとこんな感じです。

例えば、次のような例がある。
ナチス・ドイツは優生学を利用していた
ナチスは悪い集団である
したがって、優生学は悪い考え方である

上記の考えだと、「A君は犯罪者だから、A君が言ってることは嘘ばかり」とはならない、ってコトです。ちょっと意外じゃないですか?

人身攻撃の誤謬は、論証自体の健全性に対して反論するのではなく、その論証を行った人の信頼性や権威を問題とすることで、論証自体が間違っているとか、その人がそのような論証をすることが間違いであると主張するものである。

例:あなたはこの男が無罪だと主張するが、あなた自身も犯罪者なのだから、そんな主張は信用できない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E8%BA%AB%E6%94%BB%E6%92%83#%E8%AB%96%E7%90%86%E5%AD%A6%E7%9A%84%E3%81%AA%E4%BE%8B

「こいつが嫌いだから絶対反対」とか、逆に「この人だから絶対支持」となったりはNGなんです。

議論が「相手を攻撃する材料」なのかな? って思っちゃう。

対立軸と批判をくっつけると論点がボケる

日本ってもともと対立軸が多いです。

金持ちを憎む人、生活保護を憎む人、インフルエンサーやマスコミを憎む人、東アジア問題、原発や環境問題に至るまで、無限に分断されて、攻撃に使う人がいる。

反ワクチン派の人を攻撃する医師や、「だから男の政治はダメ」となるフェミニスト、若者を批判したい人は「アホな若者が出歩いてる」ってなる。野党支持者は「だから自民党は」、与党支持者は「野党は批判ばかり」ってなる。普段から外国批判してる人は「マスクは国内生産にこだわるべき!」って言ってる。

これじゃ永遠にコンセンサスは得られないと思う。

初期の報道には、中国観光客批判や反ワクチン 、偽科学への批判がくっついてた。普段から攻撃材料を探していると、どうしても、そこに結びつけたくなるのかなー。

私は、事実だけが知りたかったのでマレーシアの報道を見てた。
こちらの報道は割とシンプルで感情が入ってないことが多い。
だから疲れない。

日本の報道は、家庭で奥さんが夫に対して「あなたは、子供が小さい時も何もしてくれなかったじゃない!」と過去のことを持ち出して怒る感じ。

気持ちはわかるし、私もたまにやる。
そこは我慢した方がいいと思う。

マレーシアではどうなってる?


前も書いたけど、マレーシアでは、現政権に反対の人多いはずなんです。特に私の周りの華人は、政権交代を残念に思ってた人が多かったです。

しかし、今の政府の政策については「素早い対応」と支持しています。
「それはそれ」「これはこれ」。
評価すべきところは切り離して評価する。

だから、政権側も、国民とコミュニケーションする余裕があるんですね。

政府が毎日の患者数の報告をするのに、「今日の顔文字は、☺️だよ!」(つまり、良いニュースがありますよ)みたいに予告するんです。

よくないニュースを伝えるときは「今日の顔文字はこれです」。

国民の側から「今日は顔文字がないですよ」とコメントがついてる。
政権交代時の不穏な雰囲気を忘れてしまいそうです。

感情を切り離して考える

ただ、これも傾向の話。
私はマレーシアから学べるものが多いと思ってるけど、全てが良いわけじゃない。岩田さんのいう通り、完璧に対応できてる国なんてない。

私はどっちつかずに見えると思う。
全面的に信じている人なんていないから。
最初に紹介した岩田さんだって、全面的に言説を信頼してるわけじゃない。
「権威だから」「天才だから」っていうことを全部信用するのも、批判的思考ではNGなんです。

だから孤独で面倒臭くもある。

誰かを批判せずに支持するのは、宗教なんですよね。
だから、たぶん今、苦しんでる多くの人にはおそらく、宗教が必要なのだと思う。心の平安をくれるから。

同様に、私のことも、全面的に信用しないで欲しいと思う。
私も間違えるし、考えも変わるから。
ここは同感だけど、こっちは反対だな、くらいでいいと思う。

国民もリーダーシップを発揮できる

リーダーシップって、リーダーの側もだけど、ついてく側にも必要な気がする。「こいつは嫌い!許せない」だと、議論にはならない。多分永遠に。

日本が変わらないのは、怒りをぶつけて、反省させて、馬鹿にして溜飲を下げて忘れてしまい、結局その後の選挙に行かないからでは。本当に「怒り」があるのなら、静かに持続して、結果に結びつけるのが「怒り」の使い方だと思う。どうして欲しいのかを人格攻撃をせずに言い続ける。

「怒りを見せない」がアンガーマネジメントの極意ですが、怒りの根っこを掘り出して、行動するのは良いと思う。

感情に飲み込まれてワーワーやってるうちは、何も進まないし、決まらない。さらに事実がなんだかわからなくなる。

これだけ、立場も意見もバラバラな日本なので、そうしないと、全てが空中分解してしまう。

前後関係は元のツイート見てみてください。

「あいつはずるい」「許せない」「やっつけろ」みたいな感情ゲームを脱した先にしか、本当の民主主義ってない気がします。

それではまた。

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